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 原因も死因も不明で、状況も分からず、錯乱状態になっている妻を引きずるようにして最短便で現地を発って、2日後の7月27日にようやく日本に戻り、変わり果てた未和に対面しました。夏場で遺体の損傷も激しいために、翌々日に葬儀をすませ、後始末をした上で、放心状態が続いている妻は、次女と長男に託して一旦私はサンパウロに戻り、9月4日に正式に帰国をしました。

 12年にわたる長いブラジル駐在を終えて、帰国直前に、かけがえのない娘を突然奪われた自分の運命と天を呪いました。家内は私と、私の会社を恨み、夫婦ともども、未和を喪った喪失感と悲しみと苦しみに、毎日のた打ち回るような日が続きました。

 現地にいた私と未和とは、電話やメールでよく近況を連絡しあっていましたが、6月26日の未和の誕生日に、私が打ったメールに対して、今までめったに弱音を吐いたり、泣き言を言わなかった未和が初めて、弱気になっているメールを送ってきました。内容をご紹介しますが、未和の勤務記録に記載されている、当時の勤務時間と照らし合わせると、へとへとになっていたのだなと、後日分かりました。

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「1日に1回は仕事を辞めたいと思う」

 未和のメールです。

〈パパへ。メールありがとう。なかなか悲惨な誕生日だったけど、なんとか体調も戻ってきたよ。都議選も終ったけど、もう1ヶ月もしないうちに参議院選。それが終ったら、すぐ異動だよ。忙しいし、ストレスも溜まるし、1日に1回は、仕事を辞めたいと思うけど、ここは踏ん張りどころだね。この年になって、辞めて家事手伝いになると、結婚もできないわ。7月には一時帰国するのかね。忙しい人は、仕事をやめると、ボケたりするって言うから、楽しみをたくさん見つけておくといいね。それじゃあまたね。未和〉

遺族提供

 最後に、未和の長時間労働と、過労死の発生原因についての私たち夫婦の思いを言います。

 労災の申請にあたって、未和の勤務記録、タクシーの乗降記録、パソコンでの受発信記録、携帯での更新記録などを、NHKから入手して、整理する途上で、NHKの当時の職制の方と、何度かお話をしてきましたが、記者の働き方は裁量労働制で、個人事業主のようなものだという発言が何度か出てきました。

 出勤時間も、休憩時間も、自分の裁量で自由にできるという立場にあったということでしょうが、取材テーマを追う本来の記者の業務ならともかく、時間も手順も決められた短期集中の選挙取材業務は、待ったなしではありませんか。

 都議選と参議院選と続いた選挙取材で、連日連夜深夜まで働き、土日も休めず、亡くなる直前の1ヶ月間の時間外労働時間が、私たちが労基署に出したのは209時間。その前の月が188時間というような状況がなぜ放置されていたのか、私には理解できません。記者は個人事業主だから、細かい管理はしないという職制の意識が、部下の日々の残業時間のチェックもコントロールもせずに、結果的にこれほどの長時間労働を強いて、過労死に至ったのではありませんか。部下の健康と命を守るために、労働時間の管理は日々きっちりやるという職制の意識があれば、またそれをさせる組織のルールが厳格であれば、未和は死なずに済んだはずです。

取材チームに問題はなかったか

 職制の労働時間管理の杜撰さに加えて、一つのグループ、チームとしての在り方にも問題があったような気がしています。都庁クラブは、男性キャップの下に、男性のベテラン記者3名と、一番若い独身の未和を合わせて5名での選挙取材体制であり、皆さんそれぞれ大変だったと思います。しかし、普通の会社の組織では、若い女性社員が連日連夜深夜残業、土日出勤という状態がずっと続けば、誰かがアラートを出して、助け舟を出すなり、外部からサポートを呼ぶなり、改善に向けて、協力して、助け合うはずです。

 チームの皆さんは、横目で未和を眺めながら、個人事業主を決め込んでいたんでしょうか。自己管理ができなかった未和が悪かったのでしょうか。私たちには、未和が亡くなった当時のチーム全員の勤務記録を見せてくれという思いがあります。

 未和の100カ日の法要に、都庁クラブの方もみえました。その夜の会食の席で、家内がその方に「未和は我が家のエースでした」と言いました。

 その方は、びっしり(予定を)埋めた自分の手帳を見せながら、こう言われました。「要領が悪く、時間管理が出来ずに亡くなる人は、エースではありません」。同じ職場にいた方の言葉とも思えませんが、当時の都庁クラブのチームワークの実態を、垣間見る思いがします。個人事業主の意識の強いグループで、一番弱い未和が、犠牲になったのではないかと思うと、親としてはやり切れません。

 続いて妻の方から思いを話させていただきます。