芸能人生が終わりかねなかった中森明菜の自殺未遂事件
“あの事件”とは、1989年7月に起きた歌手・中森明菜(55)の自殺未遂事件、そしてその年末の“金屏風会見”のことだ。中森が自殺未遂に及んだのは近藤の自宅マンションで、近藤は大晦日の謝罪会見にも同席している。
「近藤は1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』での共演をきっかけに中森と交際を始めましたが、中森のライバルの松田聖子(59)とのニューヨークデートを写真誌に撮られるなど一向に落ち着く気配がありませんでした。
トップアイドル同士の交際だけでもスキャンダルなのに、中森の自殺未遂事件が起きたことで近藤は極めて危うい立場に追い込まれました。自殺未遂の理由については今も明らかにされていませんが、近藤との関係がこじれていたのが関係しているのはほぼ間違いありません。近藤が芸能界から消えても不思議ではない大スキャンダルでしたが、ジャニー氏の姉であるメリー喜多川氏(94)の寵愛に守られる形で近藤は芸能活動を続行しました。それどころか、1994年にライバルの田原俊彦が事務所を退所し、“ジャニーズの長男”の立場を強めていったのです」(同前・レコード会社宣伝マン)
近藤から東山、そして滝沢へ
メリー氏には、近藤を藤島ジュリー景子氏(54)の婿に迎えてジャニー氏の後継者にする計画さえあったという。その計画は実現せず近藤は1994年に一般女性と結婚したが、特別扱いは変わらなかった。近藤は自由気ままにレース活動に邁進し、要所でジャニーズのイベントに登場してはSMAPや嵐にも先輩風を吹かせていた。
そしてメリー氏が「ジュリーの婿」候補として近藤の次に白羽の矢を立てたのが東山だった。
「ジャニーズ随一と言われるダンス、現代物から時代劇まで幅広くこなす俳優業、さらにキャスターまで務める東山はジャニーズの後継者として近藤よりも明らかに適性がありました。メリー氏の親友だった森光子さんにかわいがられていたのも大きなポイントです。しかし結局この計画も実らず、2004年にジュリー氏が一般男性と結婚し、東山も2010年に木村佳乃(45)と結婚して2女の父親に。ジャニーズの後継者探しは、ここで大きな転機を迎えることになりました」(前出・スポーツ紙芸能デスク)
近藤と東山の“長男”の座を巡る争いの裏で、着々と地位を固めていたのが滝沢秀明副社長(39)だ。ジャニー喜多川氏の存命中から「プロデュース面での後継者」に指名され、2019年7月にジャニー氏が亡くなると、同年9月にはジュリー社長とのツートップ体制が実現した。