『伝説の少女』での歌手デビューから2021年5月で30年を迎えた観月ありさ。実はもう一つ30年がある。週刊文春「原色美女図鑑」初登場からも30年なのだ。
「(最初の週刊文春グラビアページを見ながら)クレジットが90年で、この頃13歳か。考えるとびっくりしちゃうね」
初登場は1990年11月22日号のモノクロ2頁のグラビア。日曜日の朝、週刊文春編集部に集合して、会議室でメイク、衣装合わせをして、カメラマンの車で移動しながら丸の内のオフィス街などで撮影した。このグラビアが評判になり、1991年1月17日号の週刊文春巻頭カラー「原色美女図鑑」に“抜擢”される。2回目の撮影の日は、ありさの14歳の誕生日だった。
「こんな話を30年後にするなんて夢にも思わなかったな。この時のスタッフとは定期的に会ってるから、こうやって振り返ると『ああ、そうだったなー』みたいな。『懐かしい』って感情はいいよね(笑)」
彼女はこの30年間をどう考えているのだろうか?
「最初はモデルの仕事の延長に“芸能”があったんです。歌手志望だったのにそのうちお芝居もやることになって。
初期のグラビアでは寝てる写真がたまにあるんですけど、本当に疲れて寝てました(笑)。よく泣いてたなぁ。お腹すくと泣くし、眠いと泣くし。学校終わって、すぐに毎日現場にいく生活をしていると、やらなくてはいけないことがたくさんありすぎて、自分の中でテンパってしまう。当時は、撮影現場も今と比べ物にならないほど厳しくて、『何でこんなきつい仕事しているんだろう』と常に思っていました。
10代の学生の役から、新入社員、看護婦、CA、子供がいる役、主婦の役、新聞記者、時代劇もやったり。その都度、『できるのかな』『私大丈夫かな』みたいな感じは毎回あって、クランクインのときは憂鬱で憂鬱でしょうがなかった。今もクランクインのときは、1週間くらい前から、夏休みが終わる前の子供みたいに、ああ、あと3日しかない2日しかないみたいな」