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急ごしらえの安置所

 今でこそ警察署には霊安室が設置されるようになりましたが、当時はそんなものなくてね。須磨署の駐車場の一角に囲いだけで急ごしらえの安置所をつくって、そこに淳くんの遺体を置かせてもらいました。正午前には淳くんのご両親が到着され、お父さんに淳くん本人かどうかを確認していただくことになった。私も確認に同行しました。その時、発見されていたのはまだ頭部だけです。須磨署の方が気を遣って、顎から下にブルーシートをかけ、下の部分を隠してくれていた。そうして、体があるかのように見てもらってね……。身元確認を終え、お父さんから調書にサインをいただき、遺体はすぐに司法解剖へと回されました。

同日午前8時には、兵庫県警捜査一課が須磨署に捜査本部を設置している。

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 捜査本部が設置された須磨署の5階には朝礼をおこなうための大きな会議室があって、3月に同区竜が台で通り魔に殺害された山下彩花ちゃん事件の捜査本部が先に設置されていた。その会議室に、淳くんの事件の捜査本部も新たに入ることになりました。彩花ちゃんの事件もAによる犯行でしたが、この段階では2つの事件に関連があるとは考えられていなかった。それぞれの本部が個別で、捜査を進めている状況でした。

 本部には200人近くの捜査員が集められ、聞き込み班、捜査班、声明文等分析班に分けられました。その他にも、県警本部長が特に力を入れて作ったのが「警戒班」だった。犯人が捕まっていないなかで、これ以上犠牲者を出さないようにと、現場周辺の警戒にあたる班です。大阪府警と京都府警から応援を呼び、合計600人ほど投入されていた。その頃は現場周辺の地区を少し歩けば、すぐ警察官に出くわすような状況でしたね。被害者が少年だったため、少年係との連携も密にとりました。

 捜査員は総勢800人を超える大所帯でしたが、上司に頼んで、私直属の「特命班」をつくることにしました。死体を専門に見る刑事調査官を一人、科捜研で医学博士の学位を持っている先生を1人、2人の人材を借りてきて、プロファイリングの作業を進めることにしたのです。

「文藝春秋」2021年6月号

酷似する2つのケース

「特命班」による分析では、いくつか注目すべきポイントが上がってきていました。

 まず、現場周辺の環境についてです。1970年代に神戸市営地下鉄の西神線が開通したことで、須磨区は神戸市中心部にアクセスがよくなり、友が丘周辺に6つほどの団地が立ち並ぶなど、ベッドタウンとして発達していきました。

 さらに阪神淡路大震災の後、他の地域から多くの住民が流入。震災後のストレスも重なり、当時は非行に走る子供が多くなっているとのことでした。シンナーを吸うなど、非行を繰り返す不良グループがいくつかある、と。

 このような須磨区の地域性、通り魔的犯罪、子供が被害者であるという点。3つの要素を踏まえ、警察庁から100件くらいの資料を取り寄せました。資料を検証していくと、淳くんの事件と酷似するケースが2つあった。一つは、昭和56年に札幌市内の団地で4歳児が刺されて重傷を負った事件で、犯人は13歳の少年。もう一つは、同じ昭和56年に、東京足立区であわせて4人の少女が団地内で相次いで切りつけられた事件で、犯行は小学6年の男子生徒によるものでした。

 さらに、情報収集を続けていた科捜研の先生のもとに、アメリカの科学者から有力な見解が寄せられていました。その科学者はドイツの科学誌の内容を示しつつ、「被害者が精神的な遅滞児童である場合、犯人は被害者の信頼を得るために長い期間を必要としたはずで、したがって犯行時には犯人と被害者にはなんらかの友好関係ができていたはずだ」と説明したといいます。淳くんは知的発達の面で遅れがあり、一緒に遊ぶ年齢といえば同世代が基本です。

 これらの情報から、少年捜査を意識せざるを得ませんでした。