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2021/06/08

source : 文春文庫

genre : ライフ, 読書, 社会, 医療

「おそらく中絶していたと思います」

 佐久間弁護士は、被告である遠藤医師の答弁書を光に見せた。

〈故天聖がダウン症を持っていたことについて、被告らに責任がないことは明白であり、従って、これに伴い種々の合併症の治療及び死亡についても被告らに責任がないことも明白である〉

 佐久間弁護士は質問を畳みかけた。

「天聖君がダウン症を持っていたことに対して、被告らに責任がなくても、そもそも中絶していたら、天聖君はこの世に生まれているんですか」

「生まれていません」

「生まれてこなければ、さっき挙げたような、殺してくれと叫びたくなるような苦痛は生じているんですか」

「生じておりません」

「あなたは、羊水検査の結果次第で、どういう選択肢を取る目的で受けたんでしたっけ」

「もし異常があったならば、妊娠継続を諦めざるを得ないと思っていました」

「そこからすると、仮に遠藤医師から陽性という結果を伝えられていれば、どういう選択肢を取っていたと思いますか」

「おそらく中絶していたと思います」

「ということは、遠藤医師が検査結果を正確に伝えてさえいれば、天聖君の苦痛は生じているんですか」

「生じておりません」

「ならば結局、遠藤医師のミスがなければ、天聖君の生き地獄のような苦痛は」

「ありません」

「その苦痛を精神的損害とすると、その損害を賠償すべきなのは、苦痛を生じさせたのは誰なんですか」

「見過ごした遠藤医師だと思っております」

 静かに答える光の顔は無表情だ。法廷の傍聴人にも表情はない。

 佐久間弁護士が明らかにしようとしているのは、子どもの「生」が、その子自身や両親が被った損害だということだ。被った損害、つまり「生」は、そもそも誤診がなければ存在しなかったものであると主張しているのだ。

 選択肢を奪われ、子どもが生まれてきたこと自体が損害であると原告は主張していることになる。

 苦しんで生まれ、苦しんで死んでいった。もしも光が中絶していたら、天聖はこの世の中には生まれていなかっただろう。そうであれば苦しんで死ぬこともなかったのだというのだ。