出生前診断で「異常なし」と伝えられたものの、生まれてきた子がダウン症だった。そんなとき、あなたはどう思い、どう行動するだろう。「命の選択」についての考え方が問われる局面で、光さんという女性は、誤診を下した病院を提訴することを決めた。
「命の選択」が問われる裁判として大きな注目を集めた訴訟。ダウン症当事者はいったい一連の裁判について、どのように感じていたのだろうか。ここでは、ノンフィクション作家、河合香織氏の著書『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』(文春文庫)より、一部を編集のうえ、掲載する。(全2回の2回目/前編を読む)
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そしてダウン症の子は
ダウン症でありながらも日本で初めて大学を卒業した岩元綾は言った。「赤ちゃんがかわいそう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです」。
出生前診断でターゲットになっているのにもかかわらず、声を発してこない、発することができなかったのはダウン症当事者だ。
ダウン症は知的障害を持つ場合が大半なために、なかなか出生前診断に対する思いを伝えることができないが、自らの思いを発信している人もいる。
鹿児島県で1973年に生まれた岩元綾は、ダウン症当事者として日本で初めて大学を卒業した経歴を持ち、『生まれてこないほうがいい命なんてない』という出生前診断について当事者の願いを込めて書いた著作もある。障害者手帳を持ったこともなく、知的な障害も身体的な障害も認められない。だが、21番染色体が3本ある21トリソミー、ダウン症であることに間違いはない。
ダウン症は、出生前診断でどの程度の重篤さで生まれてくるか診断できない。岩元のように大学に行くかもしれないし、天聖のように合併症で亡くなるかもしれない。すべては生まれてからしか判断できないのだ。
家族の思いは聞いた。けれども、本人はどう思っているのか。