本書では、一軒家が立ち並ぶ住宅街を舞台に、路地を囲む一〇軒の家に住む人々の生活が、異なる視点人物の眼を通して、次々と描かれてゆく。話題の中心は、横領で捕まった後、脱獄して、この地域に潜んでいる日置昭子。なぜ、昭子は脱獄犯となったのか。横領をしたのはなぜか。登場人物たちの関係性が明らかになるにつれて、昭子の人物像が形を結び、その理由が浮かびあがる。
この小説で印象的なのは、境界をめぐる問題だ。
道路に面した長谷川家は、家の周りにプランターをたくさん置き、花を咲かせているが、雨戸やカーテンで光を閉ざし、その一帯だけ、真っ暗にして内と外を切り離そうとする。隣の真下家の境界へとはみ出すようにゴミ袋を出すなど、内側に閉ざしているのに、他者の領分には無意識に踏み込むという設定は、長谷川家の祖母である小夜がかつて昭子にした仕打ちとも繋がっていて、クライマックスにかけての見事な伏線となっている。しかし、長谷川家の中でも、孫の千里は、この状況を変えたいと思っていることも、示唆されている。大学の講師をしている小山篤子と相原貴弘が、教え子の梨木由歌との関係でわだかまりを感じているのも、境界線をはかりかねてのことである。適度な距離をとるにはどうすればよいのかという問題も見え隠れする。
一方、長谷川家の向かいにある笠原家の二階で、「夜警」をさせてくれと頼む自治会長の丸川明の提案が、それまで窓を閉ざしていた住人たちに思わぬ風をもたらす。老齢の笠原えつ子と夫の武則は、壮年の一人暮らしの松山基夫と親しくしており、七並べをしたりする仲であったが、「夜警」の一件で、隣に住む二五歳の大柳望とも言葉を交わすようになる。ある犯罪を計画していた望が自ら変わろうとする場面は必読だ。自分が好きな二次元のキャラクターに恥ずかしくない生き方をしないとならないと望に思わせたのは、それまでは境界を閉ざしていたえつ子との回路が開いた瞬間だ。
津村は、二〇〇五年に太宰治賞を受賞したデビュー作『君は永遠にそいつらより若い』以来、他者から境界侵犯を受けている子どもたちを描いてきた。本作でも、母のかわりに家事をする小学生の矢島みづきとその妹のゆかりら子どもたちの存在が際立つ。笠原家での出会いから、斜向かいの山崎正美と親しくなり、ご飯の炊き方などを習うようになるみづきが発した「育ちざかり」という言葉が胸に迫る。昭子の親戚である野嶋恵一と丸川明の息子である亮太が、オンラインゲームを通じて、ある大きな出会いをしているのも本書の見どころだ。家族という境界は、今でも、子どもたちを捕らえて離さない。しかし、成長するまでの時間を急かさず、待つような空間が本書には確かに開いている。
つむらきくこ/1978年大阪府生まれ。2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、17年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞ほか受賞多数。他の著書に『エヴリシング・フロウズ』『サキの忘れ物』など。
いわかわありさ/1980年兵庫県生まれ。早稲田大学文学学術院准教授。専攻は、現代日本文学、クィア・スタディーズ等。