現代、世界を席巻するシェアリングエコノミーやデザイン経営、サブスクリプションなどのビジネスモデル。その原型は400年前の江戸時代にすでにあったのです。

 江戸にいた12人の天才起業家たちが編み出したマーケティング戦略をまとめたのがコピーライター・川上徹也氏の『400年前なのに最先端!江戸式マーケ』。今回は同書から一部抜粋し、ドラッカーも絶賛する江戸の商人・三井高利が三井越後屋を“江戸一の豪商にするまで”を紹介します。(全2回の1回目/#2を読む)

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三井高利、52歳で悲願の江戸進出

 三井越後屋(以下越後屋)は、延宝元(1673)年、江戸本町一丁目(現在の中央区日本橋本石町日本銀行近く)に開業しました。まわりには徳川幕府が開かれた時に、京や大坂からやってきた老舗の大店が建ち並んでいる一等地です。同時に京にも仕入れ専門店を開いた三井高利は、長男に京都店を、次男に江戸店を任せ、本人は松坂にいながら事業を指揮しました。当初、江戸店は間口わずかに九尺(約2.7m)の小さな店でしたが、あっという間に大繁盛店になります。三男はその様子を「千里の野に虎を放ったような勢いであった」と記しています。その分、まわりの同業者からの嫌がらせも激しく、火事で延焼したのを機に、天和3(1683)年に駿河町(現在の中央区日本橋室町三越本店付近)に移転。そこから大躍進を遂げ、やがて幕府御用達店になり、江戸一の豪商になるのです。

現在にも応用できるマーケティング手法

 高利は現在にも応用できるビジネスモデルを開発し、卓越したマーケティングを実行することで、江戸のビジネスにイノベーションを起こしました。その戦略・戦術を順番にご紹介していきましょう。まずは、越後屋の名前を江戸中に広め、ブランド価値を上げる役割を果たした「番傘の無料貸出」です。

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【1】「番傘」の無料貸出――シェアリング・エコノミーは江戸にもあった?!

傘を貸して社会問題を解決

 越後屋は、ロゴマークが大きく入った傘を常に大量に準備していました。そして、にわか雨が降ると、店頭でその傘を貸し出すサービスを実施したのです。顧客はもちろん、客以外の通行人にも貸し出しました。当時、傘は大変高価なものでした。現在のビニール傘のように安価で気軽にどこにでも売っている商品はありません。折り畳み傘も当然ありません。多くの町民は、濡れるか雨宿りしてやむのを待つしかなかったのです。雨に打たれて風邪をこじらせるなんてことも当然あったでしょう。そんな傘を無料で貸してくれるのですから、町人にとって、こんなにありがたいサービスはありません。現在流行している「シェアリングサービス」の先駆けでもあり、社会問題の解決にも役立つイノベーションでした。