【4】「暖簾(のれん)印」によるブランドイメージ統一 ――家紋を変えて新しいブランドロゴを
駿河町で再オープンをする頃、三井越後屋は、それまでの家紋に替えて、新たに暖簾印と呼ばれる店章(現在のブランドロゴ)を定めました。先祖から伝わる家紋を変える異例の決断でしたが、その後、越後屋は、暖簾や看板はもとより、風呂敷や番傘にもロゴを使い、ブランドイメージを統一することになります。今で言うブランディングですが、このマークは段々と浸透していき、のちに幕府の御用達となってからは、信頼の証となりました。越後屋の暖簾印(〇と井桁と三)は、それぞれ天地人を表しています。
店を江戸の観光名所に
越後屋があった駿河町は、駿河の國の富士山を望むことからつけられました。ここからの富士山の眺望は江戸一と言われていたこともあり、江戸時代に有数の観光名所となり、浮世絵などによく描かれることになります。店の様子も描かれることから、当然越後屋のブランド価値も上がったのです。
徹底した顧客志向で新規参入に成功
高利は「商いの道、何にても、新法工夫いたすべく候(商売をするなら何にでも創意工夫しなさい)」という言葉を残しています。今までみてきた徹底した顧客志向は、当時の江戸の激戦区・日本橋で新参者の越後屋が生き残っていくために生まれたものでした。高利は「これからは町人が消費の主役になる」と分析し、顧客をこれまでの大名・旗本・豪商などの富裕層から、町人に替えたのです。さらに高利は旧来の販売法を破壊し、町人たちが買いやすいような価格や販売方法に変えました。その結果、越後屋は江戸の町民から圧倒的な支持を得たのです。