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町人を「歩く広告塔」に

歩く広告塔 イラスト:池田萌絵(チームdot)

 しかし、これは慈善事業としてだけ実施されたわけではありません。新参者の越後屋の名前を江戸中に知らしめる大きな役割があったからです。にわか雨が降ると、江戸のあちらこちらで「越後屋」のマークが入った傘が開きました。その様子は、「江戸中を越後屋にして虹が吹き」「呉服屋の繁昌を知るにわか雨」などという川柳にもうたわれているほどです。日本橋に店を構える呉服屋は、町人にとっては高嶺の花。今で言うブランドショップのようなものですから、越後屋の傘をさしていること自体が、ちょっとしたステータスだったと思われます。広告換算すると莫大な金額になり、大きなブランディング効果がありました。

【2】「店頭販売」という革命――慣習を破ディスラプト壊し、顧客志向を徹底

「屋敷売り」から「店前売り」へ

 当時の呉服商は、得意先の屋敷を訪ねて商品を販売する「屋敷売り」が主流でした。越後屋が採用した「店前売り」とは、客の要望や予算を聞きながら、店舗で商品を対面で販売する方法です。お客さんにとっては、必要な時に店に出向き、いろいろな商品を見比べることができるというメリットがありました。

「掛け売り」から「現金正価販売」へ

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 掛け売りは、年に2回、盆と暮れの「掛け払い」のことで、江戸では一般的な手法でした。ただし、現金化が遅れるため呉服商にとっては資金の回転が悪く、貸し倒れなどのリスクがありました。そのリスクを負う分が価格に反映され、結果として呉服は庶民には手が出ない高価格商品になっていました。また、「掛け払い」のために顧客によって価格も異なるのが普通だったのです。三井越後屋は、この慣習を店舗の商品に値札をつけることで、「現金払い」に変えました。「現金払い」には貸し倒れなどのリスクがありません。そのため低価格での販売が実現できたのです。越後屋はその代わりに値引きはしない同一価格を打ち出しました。