そのことを端的に示す象徴的なシーンが、『死神永生』に出てくる「威嚇紀元」に対する描写である。「恐怖の均衡」により地球人と三体人との間に平和が訪れ、文化交流も盛んに行われる時代。そんな平和の時代では勇猛な男は必要ないので、男性の女性化が進み、もはや見た目では区別できなくなっている、という設定である。この設定は一見して平和を重んじる女性性を称えているように見えるが、実は「男=勇敢、野蛮、残虐、救済する側」「女=善良、優雅、無力、救済される側」という図式を固定化させている。そしてこの図式は、葉文潔というたった一人の例外を除いて、シリーズ全体に色濃く反映されている。
性の多様性に対する視点の欠如
女性描写についてもう一つ言及しなければならないことがある。『黒暗森林』の主人公・羅輯とその妻・荘顔の関係である。『黒暗森林』では二人が夢のような夫婦として描かれており、二人が結婚して子供を儲け一家が幸せそうに暮らしているところで「めでたしめでたし」と言わんばかりに幕を閉じるが、ちょっと待ってほしい。そもそも羅輯は自分の小説で描いた理想の女性に恋をしたのであって、荘顔は彼の幻の(しかも途轍もなく固定観念的な)理想像にあてがうために、元警官の史強が見つけてきた女性である。言うなれば、荘顔は独立した人生を持つ一人の女性としてではなく、羅輯の幻想を満足させ、彼を奮起させるための道具としてしか描かれていない。この点においても、著者の女性描写の甘さが露呈する。
当然ながら、性の多様性に対する視点の欠如も弱点としてあげられる。『三体』シリーズの中では多くの人間が恋愛感情に突き動かされて偉業を成し遂げるが、その全てが異性愛感情であり、同性愛感情は完璧なほど不在である。シリーズで唯一、同性間の身体の関係に言及しているのは、『黒暗森林』の中で、恐慌に陥った人間による乱交パーティーのシーンだけである。つまりは異常事態としてだ。『死神永生』の主人公・程心とその相棒・艾AA(この名前の適当さは興味深い)の関係性には少しばかり百合みがあるように感じられるが、最後まで読むとやはりがっかりする。
もちろん、小説において同性愛表現は必要不可欠だとは言わない。しかし、宇宙の終わり、時空の果てまで想像力を及ぼそうとしているこの壮大なシリーズにおいて、性の多様性に対して想像力が及ばなかったという事実について、個人的には残念に思えてならない。とはいえ、BL小説を書くと懲役十年半の実刑を食らうなど、表現規制が厳しい中国では同性愛表現を書くのは難しいというのも分かる。そこは表現規制が緩いという創作環境に恵まれる日本の書き手に、ぜひとも頑張ってほしいところである。