綾波レイやアスカ・ラングレーの物語は、本当に終わったのだろうか。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が異例の月曜日に公開された3月8日から日が経つにつれて、次第にその思いが心の中に浮かんでくる。

※以下の記事では、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の内容や結末が述べられていますのでご注意ください。

女性キャラクターの「結末」はあえて踏み込まなかった

『シン・エヴァ』は碇シンジの物語を見事に完結させたと思う。

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『月刊ニュータイプ』2021年6月号の緒方恵美インタビューの中で、庵野秀明監督の「俺はもうゲンドウになってしまった」という言葉が紹介されているが、完結編のシンジとゲンドウの対決は、26年前、碇シンジとしてこの物語を語り始めた若き日の庵野秀明と、ゲンドウの年齢や立場に近づいた現在の庵野秀明が対話するような、一騎討ちのクライマックスになっていた。

 テーゼとアンチテーゼが拮抗し、その二つを止揚したジン・テーゼが生まれる弁証法のように、残酷な天使のテーゼにはひとつの結末が与えられたわけだ。

シン・エヴァンゲリオン公式HPより

 エヴァは僕の私小説です、という趣旨の発言を庵野秀明は90年代から何度も繰り返している。アニメという表現に一人称の自意識を持ち込み、碇シンジという主人公の内面に多くの観客を巻き込んだのがエヴァの特徴だったが、25年の時を経てその私小説、一人称の語り手が移行し、シンジが語り始めた物語をゲンドウが語り終えるような結末は美しく、見事な完結編だったと思う。

 だが同時に『エヴァンゲリオン』という物語は、私小説として自己を投影した主人公、シンジ以外にも次々と観客を惹きつける周囲のキャラクターたちを生み出した。

 エヴァの代名詞とも言えるアイコンになった綾波レイ。昨年5月のNHK特番でファンの人気投票1位となったアスカ・ラングレー。わずかな登場時間にも関わらず、ファンの心を捉え膨大な二次創作が作られ続ける渚カヲル。葛城ミサトや赤木リツコなど、私小説と片付けるにはあまりに生き生きとした人物たちの群像劇の面をエヴァは持っている。

 エヴァが自己を投影した私小説、一人称として始まった物語であるがゆえに、他の登場人物たちにはシンジやゲンドウほど踏み込んだ「心の結末」をあえて描かなかったとも感じる。

 24年前に出版された『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』のインタビューの中で庵野秀明は「人間ドラマなんてそう簡単にできるものではない、パターンではない他人を描くことは難しく、簡単にできると思うことは傲慢だ」と語っているのだが、自己と他者の距離に敏感だからこそ、庵野秀明は綾波やアスカの物語をシンジと同じように一人称で語り終える傲慢を避けたようにみえる。