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四半世紀かけて“完結”したエヴァにファン喝采…シンジの「最後の声」に隠された意味

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2021/05/23
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碇シンジの問いに、いくつもの声が答えうる仕掛けのラスト

 碇シンジのラストシーンにも、謎めいた仕掛けがある。なぜ世界はこれほど残酷なのか、という碇シンジのテーゼについて庵野監督は四半世紀をかけて、あるひとつの答えを出した。(ネタバレになるが)その完結編の最後、成人した碇シンジのほんの二言の台詞を、実は緒方恵美ではなく俳優の神木隆之介が吹き替えている。

 緒方恵美は自伝の中で「(不満という意味ではなく)最後の台詞を自分が言わなかったことで、碇シンジが自分の中に14歳のまま残った感覚がある」と書いている。もしかしたら、監督の演出意図としてもそうなのかもしれないと思う。

 それは最後のセリフをあえて緒方恵美に言わせないことで、ラストシーンの成人したシンジを「唯一の答え」にしない演出に見えた。14歳の問いは普遍的だが、大人になる道は多様だ。緒方恵美の声による碇シンジの問いには、いくつもの大人の声が答えうるのだ。

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 今回公開された完結編、『シン・エヴァンゲリオン』は間違いなくシリーズに対するひとつの回答だ。そこには20世紀末に流行した謎の引き伸ばしも思わせぶりもない。だが不思議なのは、ひとつの答え、結末を獲得したはずのキャラクターたちが以前よりさらに輝いて見えることだ。

 庵野秀明はやはり、キャラクターという表象を取った世界への問いかけ、テーゼの立て方が天才的なのだと思う。ひとつの答えが問いを葬るのではなく、1つの答えによってさらに深みを増し輝く問いかけ、テーゼもあるのだ。
 

貞本義行によるマンガ『新世紀エヴァンゲリオン』9巻(角川コミックス・エース)

 あれほど見事に幕を閉じた完結編ではあるが、2ヶ月以上経って強まるのは、「彼らの物語がまた見たい」「ひとつの結末をもったからこそ、エヴァンゲリオンは終わらない物語、開かれた普遍的作品になったのではないか」という思いだ。かつて碇シンジという主人公の他者やアンチテーゼだったキャラクターたちは、それぞれが主人公のように輝き、彼らの物語が観客をひきつけている。

 それは世代を超えてシェアされる、世界への命題であり問いかけなのではないか。『エデンの東』でジェームス・ディーンが演じた父との葛藤や、『ティファニーで朝食を』でオードリーが演じた、繁栄の絶頂のアメリカで金では買えないものを探す少女が今も現代の観客に何かを問い続けるように。シンジもレイもカヲルもアスカも14歳のテーゼとして引用され続けるのではないか。

 緒方恵美からも林原めぐみからも異口同音に、キャラクターが自分の中にまだ残っている感覚が語られている。宮村優子もインタビューを読む限り、アスカがケンスケと恋愛的に結ばれてすべてが解決される解釈には懐疑的な様子だ。

 いつか庵野秀明自身が再びこの物語の続きを語る可能性はあると思うし、それを待ちたいという思いもある。もちろんファンたちには二次創作という豊かな文化もある。庵野秀明がもう2度とエヴァンゲリオンは作らないと繰り返した90年代から新劇場版にいたるまで、ファンたちは自分たちのためにこの物語を語り継いできた。

 そしてもう一つの可能性としていつか、庵野秀明が碇シンジを一人称の私小説として語ったように、彼が語り残したアスカやレイの物語を一人称の物語として語ることのできる新しい演出家が現れるのではないかと思う。

 かつて、庵野監督はクシャナを主人公にした『ナウシカ』のリメイクの構想をよく口にしていた。先日の某紙の飛ばし記事はカラー公式から完全否定されたが、今もその実現を待つファンは多いと思う。

 ナウシカというテーゼに対してアンチテーゼとしてのクシャナのリメイクが作られる日が来るのなら、いつか次の世代によるエヴァンゲリオンのリメイク、敗れざるアスカ・ラングレーや、複製と消費の輪廻から抜け出すn人目の綾波レイの物語が語られる日が来る気がするのだ。