宇宙戦争劇に見せかけた人間ドラマ
敢えて一つネタバレをすると、「三体」と題されたこの壮大な三部作において、地球人と三体人は本当の意味で接触したことが一度もない(ある一つの例外を除いては)。それどころか、三体人が小説内で正式に登場することはない。なので結局三体人がどんな形をした異星人なのか、小説の読者はついに知らないし(映像化すればあるいは明らかになるかもしれないが)、第一部『三体』を読んだ読者が想像するであろう地球人と三体人との熾烈な宇宙戦争も、そもそも起こらない。これらの事実からも分かるように、『三体』シリーズは宇宙論や異星文明に深く踏み込んでいるが、本質的には徹頭徹尾、地球人の人間ドラマである。
実際、本シリーズを読むと、人間性や人間社会、国際政治情勢に対する著者の深い洞察が窺える。例えば『三体』の中で描かれる、地球三体協会内の派閥争いと内ゲバや、文化大革命のエピソード。『黒暗森林』の中でも、三体危機が判明した後の地球人の反応、アメリカとロシアの利己的な行動、新興国から持ち上がった「技術公有化」の要請、更には「逃亡主義」の勃発と非合法化、及び民間で起こった「逃亡ファンド」詐欺など、人間社会の様々な事象が生き生きと描かれている(『死神永生』においてもそのような例が多々あるが、ネタバレ防止のため言及するのを控える)。これらのディテールは現実の人間社会に対する深い理解がなければとても書けないものである。たとえ三体人という共通の外敵が現れ、地球滅亡という具体的な危機に直面したとしても、人類全体が一致団結して困難を乗り越えることは決してなく、人々は最後まで自己の利益のために互いの足を引っ張り合う。ある意味悲観的な人間観ではあるが、しかしそれは2020年、世界中を襲ったコロナ禍において見事に証明されたのではないだろうか。
とはいえ、地球人類の性質に対する著者の見方は、必ずしもそこまで悲観的なものではない。著者はインタビューで、『三体』シリーズの結末はむしろ明るいものだと述べている。シリーズを通読すると分かるのだが、文明存亡の危機に直面した時でも、地球人類が三体星人、または他の高度な技術を持つ異星文明のように冷徹で合理的な判断ができず、何度も慌てふためき、右往左往し、滑稽な様相を呈するのは、地球人類には様々な感情と道徳観があるからである。憎悪、嫉妬、私欲、喜び、怒り、悲しみ、驕り、そんな感情の数々が人間の目を眩ませ、「人を殺してはいけない」「生き物はみな平等である」「平和は尊ばれるものである」といった道徳観が人の足をすくう。あまりにも果てしなく、あまりにも暗くて冷たく、あまりにも無情で恐ろしい宇宙の真相と対峙した時でも、人間は感情と道徳を捨てきれず、そのために文明の生存競争において幾度も判断を誤ってしまう。しかしそんな感情と道徳こそが、人間を人間たらしめる所以とも考えられる。とすると、『三体』シリーズは人間性に絶望した人間批判の小説ではなく、むしろ人間礼賛の側面を持っているといえよう。