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 いずれにしても、このシリーズはSFという形を取りながら、「人間を描く」という小説本来の任務を見事に達成している傑作である。

ジェンダー的な視点の欠如という弱点

 とはいえ、シリーズを通読した後、違和感を覚えるところが全くないというわけでもない。まず、小説内に出てくる国際機関(国連や惑星防衛理事会など)は妙に善人面過ぎて、もはやナイーブな域に達している。一人でも人間に危害を及ぼすことなく三体人を撃退する方法が存在すると本気で信じているのか、面壁者が画策している計略が一部の人間の犠牲を前提にしていることを知ると、すぐに却下し、面壁者を断罪しようとする。現実世界の国際機関がそこまでナイーブなほど善良なのか、甚だ疑問である。後進国の人間を犠牲にしてでも先進国が生き残る手段を模索するのではないだろうか。そもそも400年後の「三体危機」が判明した時点ですぐ民間の一般人にまで広く公表するかどうか、かなり怪しい。大恐慌を防ぐために情報を隠蔽してもおかしくないのではないか。コロナと違って、四百年後に襲来する宇宙人など一般人には知る手段がないのだから。

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 民間人の方も、四百年後に地球が侵略されるという情報をそこまで我が事として捉え、様々な滑稽な行動に出るのが不思議である。滑稽な行動とは、自分の400年後の子孫が地球外へ逃げられるように大金をはたいて「逃亡ファンド」を買ったり、全てのリソースを武器の開発に費やして飢饉を招いたりといったことである。どうせ自分は無事この生を全うすることができるのだから、そこまで自分の血筋にこだわり、400年後の子孫の心配までしてどうする? 庶民にとって400年後の地球の危機より、目の前の生活の方が大事だと思うはずだ――そう考えるのは私だけだろうか。

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 しかし何よりも最大の弱点は、やはり女性描写である。前文でも述べたように、『三体』シリーズでは葉文潔以外、大抵の女性登場人物は魅力に欠けている。小説の中で女性は常に善良で、平和を望み、したがって優柔不断で、弱々しい人間として描かれる(『死神永生』の主人公・程心がその代表格である)。対して世界を救えるのは、人を平気で殺せる残忍さを持つ、決断力のある男性である。シリーズを通読すると、著者のそうした「男らしさ」と「女らしさ」の固定観念がかなり根強いのではないかと思えてならない。