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島田被告は「何か」を自らの墓場まで持って行こうと…?

 しかし一方ではこんな証言もある。

「今年1月の時点で、官製談合について警察が調べているという噂が流れていたんです。そんな話を耳にしたIさんが、『島田課長に伝えなきゃ』と大いに慌てていたといいます。島田さんがやっていたことを知っていたのかもしれない」(前出・現役職員の男性)

 法廷で島田被告は、「死なせてしまった」と自らを責めた一方、Iさんが事件に関与していたかどうかについて、島田被告は「全く知らない」と証言している。では、嗚咽するほどに責任を感じる理由は何なのか。弁護人によると、島田被告は今後、「いのちの電話」のボランティア相談員として活動する意思も見せているというが、自殺防止に取り組む一方で、「何か」を自らの墓場まで持って行こうとしているような気がしてならない――。

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※写真はイメージです ©iStock.com

 最後に亡くなったSさんは、人事課長というポジションからすれば官製談合とは一見、縁遠いように思えた。

 しかし、法廷の島田被告の証言には、Sさんの影が登場する。

 平成28年4月に、商工観光課長から畑違いの契約検査課長に異動となったことについて、島田被告は「(情報漏洩に)私を協力させるために(逮捕された)川北と川村副市長が決めた」と証言。その後、主に川北からの指示に従って、入札情報を漏洩させていたという。

 このことは、5月24日に行われた川北の公判でも明らかにされており、川北も「(同様の情報漏洩を)年間十数件やっていた」と認めている。

川北被告が務めていた市の社会福祉協議会

島田被告の「異動願い」を却下していたSさん

 しかし島田被告はその後、罪の意識や露見する恐怖に苛まれるようになり、過去2回、異動願いを提出するも叶わなかったという。

 令和2年に提出した2回目の異動願いには、「自分がうつ病であることや母が病気であることも人事課に説明した」(島田被告)というが、この時の人事課長がSさんなのだ。

 自身と母親の病気も理由として添えられた島田被告の2度目の懇願さえあえなく却下したのは、「情報漏洩の窓口」を失うことを嫌った川北と川村の圧力をSさんも受けていたと考えられる。