人事の私物化は市役所内で「日常茶飯事」
情報漏洩に加担させるために島田被告を契約検査課長に配置し、異動願いを却下させる。まさに人事の私物化にほかならないが、こうした状況は市役所内では日常茶飯事だったようだ。
前出の元職員の男性が話す。
「川北派の職員が突然序列を飛び越えたり、畑違いの部署から来て課長になったりといったことはたびたびあった。逆に川北に嫌われたら部長にはなれなかった。職員の間では、川北が介入したと思われる人事は、彼のイニシャルをとって『K・K人事』と呼ばれていました」
島田被告も公判で「(川北の要求を)断れば左遷など報復が待っていた。課長級以上の人事権は川村被告にあったが、川北被告の意向に従っていた。みんな知っている話だ」と証言している。
なぜ民間人が龍ケ崎市役所を浸食できたのか?
こうしたなか、令和2年4月に別課の課長から人事課長に着任したSさんは、以降、島田被告同様、川北の手足となって動いていたと考えられる。
そんなSさんの担わされた最後のK・K人事について、ある市政関係者が証言する。
「入札談合に関わって略式起訴された大久保は、市の訓令からいえば免職の可能性も十分にあったが、結局停職6カ月にとどまった。その裏には、川北が自分のために動いた大久保の所内での処分を軽くするために、K・K人事を発動したようです。人事課長のSさんも、この処分の軽減に加担させられていた」
しかしこれには別の見方もある。前出の現役職員の男性が話す。
「川北が当初望んでいた大久保の処分は、停職3か月。川北は、これを実現できなかったことに激怒していて、Sさんは大変おびえていたと聞いている。私は死の4日ほど前にSさんを見かけましたが、確かに魂が抜けたようだった。そしてSさんが自ら命を絶ったのは、奇しくも大久保の処分が所内で発表されたその日なのです」
「K・K人事」や3人の職員の自殺の原因調査の実施有無について、龍ケ崎市役所に事実確認の文書を送付したものの、期限までに回答はなかった。
しかし、社会福祉協議会の副会長だったとはいえ、いち民間人である川北が、龍ケ崎市役所を侵食できた理由はなんなのか。そして川北が入札情報を入手した目的はなんだったのだろうか?(続く)