少なくとも私は、食べる肉の量を減らすことはできても、肉食を完全にやめることはできない。家畜を飼い育てたり、野生の動物を捕えるところから、屠って切り開き口に入れ、嚙みしめ飲み下すまでの、喜びと悲しみとが混ざり合った、形容しがたい激情、矛盾、快楽。それらのすべてを失うのは、あまりにも悲しい。肉のもたらす「豊かさ」を大事にして生きていきたいと願っている。
消費者に売れるのはたった23キロ
話を元に戻す。51キロの精肉は、肩ロース(4キロ)、腕(12キロ)、ヒレ(1キロ)、ロース(9キロ)、バラ(9キロ)、モモ(16キロ)の部分に分かれる。それぞれ脂の入り具合や、食感が異なる。つまり、それぞれ適した調理方法があるというわけだ。
通常スーパーで売っているのは、挽肉をのぞいて肩ロース、ヒレ、ロース、そしてバラ。この4つを食肉業界では「テーブルミート」と呼ぶ。残りの腕とモモは、挽肉にするかソーセージやハムなど、加工にまわされる。
つまり1頭の豚からそのまま肉として消費者に売れるのは、たったの23キロなのだ。あまりにも少ない。畑から収穫したら、ほとんどまるごとをそのまま消費者に売れる野菜とは、ここが大きく異なる。
保存が難しいことも含めて、このたくさんの手間が、食肉業界に複雑な流通が介在する大きな要因になっているのだろうか。
そしてこれらの肉の他に、頭(頭がい骨と脳と舌を含む。10キロ)、内臓赤モノ(心臓、肝臓など循環器6キロ)、白モノ(胃、腸など消化器9キロ)、と肢がある。それぞれ違う業者に渡るものを、今回は買い戻して料理に回す。これら「副産物」は、内臓は新鮮さが命だし、頭や肢は買い手がつくとは思えない。3頭分全部料理に回すことにした。
どうにか頭、皮まで
こうしてそれぞれの料理人に、提供できる食材の種類と質量を示して、何をどれだけ作ってもらうか、提案してもらった。タイ料理の家坂さんからは、皮があるといいと言われた。皮の重量を調べたら、およそ4キロ。そのうち半分を送ることにした。また、タイには豚の赤身肉に血をあえた料理があるし、フランスにもセンダさんが呟いていたように、ブダンノワールという豚の血で作る料理がある。韓国料理にもスンデという血を使った腸詰めがある。血、食べたいなあ。
血をもらうことはできませんかねえと、千葉県食肉公社の内藤さんには1年前からお願いしていたのだが、さすがにこれは却下となった。現在日本では、血の食利用はほとんどの衛生検査所で許可してくれないのだ。
たしか沖縄では血を取っていたと思いますけどと、ごねてみたものの、駄目であった。そもそも千葉県食肉公社の放血現場は、豚をすのこ状になったところに寝かせて喉にナイフを刺すので、血の採取は非常に難しいのであった。残念。