「食べるために動物を殺すことを可哀相と思ったり、屠畜に従事する人を残酷と感じる文化は、日本だけなの?」
そんな思いから世界各国の屠畜現場を取材し、『世界屠畜紀行』(角川文庫)を執筆した内澤旬子氏。十数年間にわたり、牛や豚が肉となるところを見続けてきた彼女は、次第に「肉になる前」が知りたいという欲望にかられ……。
ここでは、同氏が自分で豚を飼い、つぶし、食べる計画を実行し、そのもようをまとめた著書『飼い食い 三匹の豚と私』(角川文庫)の一部を抜粋。中ヨークの「伸」、三元豚の「夢」、デュロックの「秀」。3頭の豚との暮らしの様子を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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同じ豚なのになんでこんなに違うんだ?
それにしても豚たちはよく寝る。1日のリズムのようなものも特になく、気がつくと起きてごつごつと餌箱に鼻をぶつけるようにして餌を食べ、水を飲み、またごろりと横になる。まさに喰っちゃ寝なのだ。
彼らはときどきハッと気がついたように、ざっかざっかと走り回る。いちばんよく走るのは伸だ。夕方、ホースで水をかけてやると、バウッと啼いて大喜びして小さな運動場を駆け回る。
そのうちに夢がつられて出てきてランニングに参加し、勢い余ってなぜか伸にまたがる。マウンティングである。伸は夢よりもずっと身体が大きいにもかかわらず、哀しそうに従う。どういうわけか夢は秀には決してマウンティングをしないのだった。
こうして2頭が組んずほぐれつ遊んでいる時も、秀はまるでおかまいなく、黙って打たせ湯にでも来ているように、背中に水をかけてもらいながら寝そべり、それに飽きると小屋にもどって黙々と餌を食べる。餌だけではない。柵の中に入って来た毛虫だろうがナメクジだろうが、無表情に食べている。そこまで食べていたいのかと、問いただしたくなる。鬼気迫るものすら感じる。
人間だったら、確実に肥満警報が鳴り響く。このままだと太るからもっと動きなさいと言いたくなる。しかしよく考えてみれば、豚は太ってナンボ。むしろ好ましいと考えねばならないのだった。
それにしてもカワイイ。はじめのうちは養豚農家と同じように飼料だけで育てようと思っていた。ある日獣医の早川さんが、敷地に生えている草を豚たちにやったことで、がらがらと崩れた。
え、ヤギじゃあるまいし、豚って草も食べるんですか?? びっくりして聞くと、早川さんは平然と「ええ、食べますよー。葛とかがいいかな。ほら」と、柵越しに草を差し出す。すると好奇心の強い伸がすぐにやって来て、ぱくぱくとおいしそうに喰いついた。あら。一方夢は警戒しながら、恐る恐るという風情で草を口にする。そして秀はまずそうに口をえーっとあけて吐き出していた。君たち豚なのに、なんでこんなにそれぞれ違うんだ!!