観光客の多い京都で、こんな理由からお客様を断っていたら、商売にならないのではないか、と思うかもしれませんが、京都人はそうやって、変わらない「京都」を守ってきたのです。
問題のフランス人夫婦は、私が同行して無事に食事することができました。和食の粋を堪能し、満足して夫婦円満で、帰って行きました。
京都のいけず体験
京都で暮らしていると、「それっておかしくない?」と思うことがあります。京都の人に話すと「京都の人にとっては当たり前や」と笑われますが。
たとえば、家の近くに駐車場を借りていた頃のことです。
ある日、駐車場の大家さんが来て、「サコさん、車が線をはみ出してるって苦情が来たから入れ直して」と言うのです。
行ってみたら、私の車庫入れが雑で、となりの駐車スペースとのあいだの白いラインに車輪が乗っていました。「すみません」とあやまってすぐさま入れ直したのですが、考えてみたら、となりの駐車スペースを借りている人は真向かいに住んでいるご近所さんです。駐車場でもよく会うし、あいさつもしている。それなのに、私にはなにも言わずに、駐車場の管理会社に連絡して、その管理会社が大家さんに連絡して、大家さんが私のところに来る。これって、なにかおかしくないですか。直接言えばすむことなのに、人を介して文句を言うわけです。
思い返せば、べつの日に、私が駐車場に車を入れようと思ったら、ちょうどその人が洗車をしている最中で、私の駐車スペースにバケツやタワシなどの道具が散乱していた。まあ、急ぐことはないので、しばらく路駐して待ってあげたこともあるのです。
こちらがそうやって何度か配慮したことは、その人もわかっているはずなのに、私の一度のミスは許さないんですね。しかも、私に直接言うのではなく、大家さんを通して文句を言ってくるのです。
1週間以上もゴミといっしょに過ごしたマリの友人
京都の人は、相手と直接ぶつかることを極端に嫌います。本人に文句を言う場合でも、「線をちょっとはみ出してるよ。私はかまへんのだけど」と、「自分は責めていない」という立場を示します。これが本当かどうかは、いまだに区別がつかないことがあります。
マリ人の知り合いが、京都の民泊で一軒家を借りたときのことです。大家さんから「ゴミは外に出さないでください。私が処理しますから」と言われ、1週間以上もゴミといっしょに過ごしたというのです。
たしかに京都はゴミの出し方に厳しく、細かいルールがいくつもあります。宿泊客にいちいち教えるのは面倒かもしれません。しかし1週間以上も滞在する場合はしっかりルールを教えて、自分たちで出してもらったほうがいいはずです。
それでも、本人たちにやらせないのは、教えるのが面倒なだけでなく、「ご近所から文句がくるから」という理由が大きいのです。
わが家の近所にも民泊施設があって、利用者の外国人が、ゴミの日ではない日にゴミを出しに来たことがあります。私は「今日はゴミを出す日ではありませんよ」とゴミ出しのルールを説明して、持ち帰ってもらいました。