1983年、ミャンマー訪問中の韓国大統領の暗殺を目論み、合計21名の死者を出した「ラングーン事件」が起こった。同事件の実行犯は、収監されたまま異国の地で生涯を終えた北朝鮮テロリスト、カン・ミンチョル。彼の証言をまとめた一冊が韓国で発行され、世界中で大きな反響を呼んだ。
ここではその翻訳版『ある北朝鮮テロリストの生と死 証言・ラングーン事件』(集英社新書)の一部を抜粋。北朝鮮に生まれ、テロリストとして育てられた男の数奇な半生を紹介する。
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カン・ミンチョル、またはカン・ヨンチョル
公式記録には、カン・ミンチョルは1955年4月18日生まれとある。しかし、1998年の韓国外交官との面会では1957年7月29日生まれであると言っていた。彼は江原道(カンウォンド)北方にある通川(トンチョン)郡で生を享けた。通川郡は東海岸沿いにあり、交通の要地で、景観が美しいことでも有名な地方である。道路でも鉄道でも、他の地域に容易にアクセスできる。名勝と呼ぶにふさわしい景勝地も多い。そして東海岸に続く通川平野があり、海産物と穀物が豊富である。現代グループ創業者の鄭周永のような著名人を多く輩出している土地でもある。
カン・ミンチョルの本名はカン・ヨンチョルであった。北朝鮮では特殊任務を遂行する要員だけでなく、公職につく者の大部分が偽名を使っている。彼は現地訓練のためにたびたび韓国国内に潜入していたが、ひょっとするとカン・ミンチョルという偽名は、彼がソウルに滞在していたときに、当時ソウル大学に在学していた実在のカン・ミンチョルから名前を借りたのかもしれない。テロリストたちのリーダー格だったキム・ジンスも「ジン・モ」と呼ばれており、そのために彼は公式記録にジン・モという名前で残されている。キム・ジンスはビルマで取り調べを受けているときにも、自分の本名を明かさなかった。
カン・ミンチョルは、北朝鮮の人民武力部偵察局に所属する特殊部隊の上官の命令を受け、1983年10月、ビルマで任務を遂行するさなかに、重傷を負った。逮捕され裁判を受け、死刑判決が下された。その後、事件の真相について証言したことで死刑は免ぜられたものの、終身刑に処された。
20年以内に大部分が死亡するというインセイン刑務所
彼が服役していたインセイン刑務所は、ビルマの首都ラングーン郊外のインセインにあり、大部分の服役者たちが20年以内に死亡するという場所である。ビルマ当局は重罪人であるカン・ミンチョルを、民間人が収容されているインセイン刑務所にはすぐに送らず、軍が運営する特別刑務所に1年間閉じ込めた。民間の刑務所は警備体制が緩いので、万が一にも彼の身辺に異常が起こる恐れを考えてのことであったのかもしれない。インセイン刑務所でカン・ミンチョルは、ビルマ軍の脱走兵出身で刑務所では使役兵として働いていた服役者たちから、ビルマ語を習った。それから15年後、ビルマ駐在韓国外交官と面会したときには、彼はビルマ語で会話ができた。
カン・ミンチョルは25年間ビルマの刑務所で服役し、2008年5月18日、肝臓がんで死亡したとされている。この点については現在もなお疑問が残っている。ビルマ軍・警察に逮捕された当時、彼は身体中を負傷した状態であった。左腕は手首から先が切断されていて、顔、右肩、腹部、陰部、両方の足や太ももなど、身体のどの部分にもまともな箇所がなかった。