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 振りかえると、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』などは、今はなき、銀座1丁目のテアトル系の大型館で観たのだが、血潮がたぎる思いにかられた。

 また、テレビシリーズの頃からのご贔屓であった番組『スパイ大作戦』を『ミッション・インポッシブル』として、トム・クルーズが映画化してくれて以降、彼の大ファンになっているわけであるが、シリーズはすべて初日に観に行く。どんな重要な仕事でも後回しである。

 そうしているうちにも、観客数に大きな変化が訪れていることを目撃するようになっていた。今はなき有楽町の大型劇場に、午後の仕事を抜け出し観に出かけることが楽しみで、『スパイダーマン』シリーズや『ミッション・インポッシブル』シリーズは、そこでと決めていた。初日からだいぶ日にちは経っていたこともあるだろうが、広い劇場には20人くらいの観客が中央に固まっていて、私はその中で悠々と観る快感を得ることができたのだ。そうは言ってもこんな贅沢がいつまで続くものなのかは不安であったし、その結果、歴史ある大型館は姿を消す運命を迎えることにもなってしまった。

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 映画を映画館で観ることの非日常の贅沢を味わって、その時代を送ってきた世代も歳を重ねるうち、銀座や新宿から足が遠のくという現状もあるようだ。映画館も観客も同時に老朽化を迎えたから消滅するなんて、寂しすぎる。

 そういう世代はまた、自宅に大型のビジョンを設置して、DVDや配信で観る楽しさに乗り換えていそうではあるが。

「映画館で映画観たくない。途中で映画を止められないから」

 子供は子供で、「映画館で映画観たくない。途中で映画を止められないから」と言うそうで、これが作り話でもなさそうなのだ。映画は、トイレや食事をしたい時は自由に止められるものだと思って、家で観ている子供たちにとっては、映画館は実に不自由な環境になっているという。

 若年層に至っては、「映画、ナガクない? LINEが溜まっちゃうんだよね」。食事の時ならともかく、映画館で鑑賞中だと返事ができない。LINEに送られてくる連絡が溜まりに溜まり、気になってしまう。映画どころではないというわけだ。

©iStock.com

 話は少し逸れるが、「長い」といわれる劇場用映画は、少なくとも70分以上ないと興行対象になりにくい。アカデミー賞の対象作品としても、それだけの尺がないと映画として扱ってもらえないという。

 特別な作品を除いて、映画はだいたい90分に収められた作品が良き作品とされていた。『サム・サフィ』などは90分作品にするために、3分の2もカットされた。冒頭のバルセロナのシーンで、主人公の恋人という、重要な人物が存在しなくなったくらい、大幅にカットされている。それだけタイトに凝縮されたから、なかなかの完成度になったとも言えそうで、映画というものは編集者の腕前次第であることもわかった。バルセロナのシーンでは、出資の条件の一つとして約束した、日本側プロデューサーである私のエキストラ出演の出番も、最後の最後に削られてしまった。フランス側製作者たちの確信犯的采配の勝利となった。

【前編を読む】前もって「盛られた」宣伝で「洗脳」して劇場へと誘う?  “映画配給”という仕事の知られざる実態

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