博報堂生活総合研究所の「生活定点」調査によると、過去20年以上もの間、映画鑑賞は日本人の趣味として常に上位に位置している。しかし、映画にまつわる仕事の実情はあまり知られていない。
ここでは、映画プロデューサー、シネマ・エッセイストとして活躍する髙野てるみ氏の著書『職業としてのシネマ』(集英社新書)の一部を抜粋し、映画における「配給」の役割を紹介する。現場の目線で語られる「配給」とは一体どんなものなのだろう。(全2回の1回目/後編を読む)
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配給は裏舞台の仕事
私が手がけてきたのは、映画ビジネス、洋画配給、そしてミニシアターで上映する単館系洋画配給ビジネスという仕事である。
「買い付け」た映画作品を劇場にブッキングして、観客となる皆さんに観ていただく。
映画を配給するからには、多くの方々に知っていただく必要があり、「宣伝」という大仕事も手がける。
人には「やらないほうがいい」と言うものの、私を含め一度だけでやめにしたという方々や会社は、そう多くない。一度でもヒットを出そうものなら、次のヒットを願って深みにハマっていくことは否めない。
ヒットとは、多くのお客さんに観に来ていただき、その作品を「面白い」と言ってもらうことを狙うのであって、お金持ちになるために邁進するというモチベーションとは少し違う。お金儲けを狙うなら、これほど手がかかる面倒なことには関わらないほうがいい。
そうして、あくまで公開される劇場がハレの場で、そこでは配給プロデューサーは不可視の存在。あくまで黒子である。だから、どういうことをどこまで、どうするのか、その仕事は知られざるもので、それはそれで良いのだが。
『映画配給プロデューサーになる!』が出版されて、かなりの時間が経過したが、仕事内容の変化がほとんどないのには、自分でも驚くばかりだ。AIに取って代わられそうもない仕事かもしれない。
知られざる仕事としての裏面となる、つまり表面にいらっしゃる、映画を観て楽しむ側の皆さんからは、常に映画は、「キレイごと」「イイとこどり」で語られている。
大学の授業などでは、映画礼賛の映画論が当たり前であろう。かく言う私も、大学で教えていたのは映画論であり、その素晴らしさを広く世に伝えるビジネスである、配給の仕事については、自分から触れたことはないし、尋ねられもしなかった。
世の中で映画のことが語られる場合はキレイごとであり、まずは、スターについて、カリスマ的監督について話題にのぼる。