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「出世なんて所詮は運」は本当か? 会社で「屍」評価をされたときに‟してはいけない”決断

2021/06/15
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所詮は夢とはほとんどが「叶わないもの」

 会社員で40代後半から50代にもなると、すでに会社という組織では「白黒」がほぼ決着している。その結果、若かったときのような生気もすっかり失せていきなり老け込んでしまう人も多くいる。

 しかし、ひとつの会社の中では「屍」という評価だったとしても生身の自分自身が「屍」になったわけではない。せっかく会社から給料をいただけるのならば考え方を変えて、人生を楽しむ方向に意識を切り替えることをすすめる。

 出世できない悔しさだけから会社を飛び出して無理な起業を試みる人もいるが、定年間近であわてて起業する人に成功する人は少ないように思われる。

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 屍でもよいではないか、最近は冷静に会社で働く人たちにエールを送ることができるようになった。屍もこれまではおおいに会社の役に立ったのだから堂々としていればよいのだ。

©️iStock.com

 いつの頃からか世の中では「夢」という言葉が拡大解釈され、何か途方もなく素敵なものとして語られるようになった。それどころか人は誰しもが夢を持たなければならないと、まるで夢の押し売りのような語られ方さえされている。

 しかし、所詮は夢とはそのほとんどが「叶わないもの」だ。その叶わないものを追いかける姿が外からみれば何やらかっこよく、素敵な姿に映るのかもしれない。話は美化されそのことに勘違いをした人たちが、実はその夢はすでにもう叶わぬこととわかっていても夢に固執し、出口を見つけられない。そんないい歳した大人が増えている。世の中が豊かになった証なのかもしれない。

並大抵の努力では夢は叶わない

 東日本大震災後に流行った言葉がある。「勇気をもらう」「元気をもらう」という表現だ。これは少々おかしな表現だ。本来勇気や元気は「やりとり」するものではない。「勇気を奮う」「元気を出す」といった自らが発揮するものであって、受動的に「もらう」ものではないはずだ。他人によりかかった日本語の表現が増えている。これらをつなぐのが「絆」という言葉なのかもしれない。人々が交わす言葉にやたらに「いただく」を付けるのも最近の傾向だ。

 ビジネスの現場でも最近はこの「他人に寄り添った」表現をすることが増えている。みんなが仲良く力をあわせて頑張ろう。一生懸命やりさえすれば夢は必ずかなう。だからみんなで頑張る。

 職場においても他人の気持ちを思いやらなければならない。仕事が少しでも忙しく残業が多くなると「ブラック企業」などと名指しで批判される。「人間らしい生き方」「笑顔で明るい仕事」、言葉はきれいで何やら仕事をすることは素晴らしいこと、世の中には自己実現ができる仕事が溢れている。こんな語り方がされる。

 こんな世界になったらよいなと私も心の底から思う。だが現実はもっと厳しいものだ。他社を、他人を出し抜く。競争に打ち克つためには人よりも数倍も数十倍も努力しなければならない。大きな成功を収める、夢をかなえる、自己実現をするのは並大抵の努力ではないのだ。

 みんなが仲良くチーチーパッパでは到底現実の社会で勝者にはなれない。これは資本主義社会の中では厳然とした「現実」である。