「どこ見てんのよ」は心の叫びだった
——ザキヤマさんがそんなことを。
青木 それも一つのやり方だって。「『どこ見てんのよ!』というギャグは青木さんに本当に合ってるよね」とも言われました。心の叫びだから、あれだけ話題になったんだって。
——ドキュメンタリー。
青木 そうです。私は当時すごく自意識過剰で被害者意識が強い人間だったから、「どこ見てんのよ!」というのは心の叫びでもあったんですね。私の性格にピッタリ合ってたんですよ。
だから、人のギャグを見ると「こういう人なんだな」って思ったりする。林修さんの「今でしょ」も「そういう気持ちで生きてるんだろうな」とか。波田陽区さんの「残念!」は……どういうつもりかよく分からないけど(笑)。
——ギャグはその人を表す。
青木 だから、いま「どこ見てんのよ!」って叫ぶことは、私にはできない。なぜなら、それをもう思ってないから。不器用すぎますね。私は。
——被害者意識から解放されているということですか?
青木 そうです。ギャグが心の叫びだと思ってやってる人ばっかりじゃないとは思いますが、私は私の中にあることしかできなかった。
——でも、青木さんは心の叫びと時代がものすごくマッチした。
青木 そうなんです。その時代に本当に合ってたんだと思います。
ブレイクした後は「何もかも嫌だった」
——エッセイでは「売れたい」という気持ちがすごく強かった高円寺時代の記述は詳細で分量も多いのに、ブレイクした後のお話があっさりしている感じがして。あんなに成功を求めていたのに、なぜなんだろうと。
青木 ああ、それすごく言われます。なんなら最初(ブレイク後の話は)ほとんどなかったくらいで、編集さんから足してほしいって言われて足したんです。
一個の理由としては、青木さやかとして出している以上、今も仕事をされている方がいる中で、ご迷惑をかけたくないという気持ちですね。私がテレビに出ていた時のことを想像しながら読めば「あのことかな」「あの人のことかな」って思ってしまうでしょうし。
——なるほど。
青木 売れたらいろんなものが手に入る……お金とか、地位とか、安心感とか、幸せになるとか、漠然としてますけど、思っていたんです。でも、そうではなかった。だから書くことがないんですよね。
——売れること=幸せではなかった。
青木 「あの人が嫌だ」「この人が嫌だ」ではないんです。「何もかも嫌だった」ということに過ぎないというか。
どの番組にも感謝してるんです。だけど「感謝しなきゃ」と思って感謝してた。番組に呼んでもらっているのに「やったー」って思えない。「呼ばれた、行かなきゃ」って、だんだんおかしなことになってきました。誰のせいでもないのに、私にとって当時はつらすぎました。