ギャンブル依存症、離婚、ガンの摘出、そして幼少期から続く母との確執……青木さやかさんが自らの人生を綴った『母』(中央公論新社)が話題を呼んでいる。パチンコをやめられず、借金を重ねていた20代の頃のエピソードを、同書より抜粋して紹介する。
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消費者金融が「わたしの銀行」になった日
お金は、なかった。
最初からなかったけど、どんどんなくなった。だけど、大丈夫。今日2万円負けても、明日10万円取り返せばいいのだから。実際そんな日もあった。そのうち、1万円が100円みたいな感覚になっていった。パチンコ屋の中でだけは。
銀行に行ってもお金はなかった。
わたしは消費者金融でお金を借りた。
まわりの芸人さんたちも皆お金がなかった。だからお金が銀行に入っていないことなど特段焦るようなことでもなかった。先輩芸人さんの多くが消費者金融のことを「俺の銀行」と呼んでいた。「俺の銀行は、まだ金が出てくるぞ」と言って笑っていた。
最初に消費者金融に入ったときは、これで何かを失っていくのかな、という怖さがあった。誰かに入るところを見られるんじゃないかとドキドキし、何度も入り口まで行っては通り過ぎ、何度目かのとき「あ、ここ100円ショップかな?」と思って間違えて入ったという設定にして、口笛を吹きながら入った。
「100円ショップ……じゃないんだ、まぁいいか」と誰も聞いてはいないが意味不明な演技をしながら入った。
「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえた。「ハッ、見られてるのか?」と思った。それは自動音声だったが、どこかで誰かが見ているのかもと怖くなった。わたしはフリースを首のところまでグッと上げて顔を半分隠した。タバコの匂いが鼻と口に入ってきた。ATMのようなマシーンに対面する席に座ると、自動音声だと言い張るお姉さんの指示でどんどんとわたしは自分の個人情報を伝えていった。そしてあっという間に数万円が出てきた。この日からこの消費者金融は「わたしの銀行」になった。
そのうち1社が2社、2社が3社になり、わたしの銀行はあっという間に増えていった。わたしの銀行たちにはお金を返す期限が設けられていた。その期限通りに返金できないと丁寧な電話がかかってきた。
初日は柔らかいお姉さんの声で、「返済の方、いかがでしょうか?」
わたしは、「すみません、すぐ返します」と言ってしばらく放っておく。すると、次は男性から「返済の方、いかがでしょうか?」とかかってきた。
わたしは「すみません、すぐ返します」と言ってまた放っておく。すると、今度は怖い声で電話がかかってきた。
「わかってますかねぇ?、どうなってますかねぇ?」
わたしの銀行は、約束を破るとどんどん怖い人が出てくる魔法の銀行だった。