——どういうところが一番つらかったですか?
青木 怖かったです。知らない人が自分のことを知っていて、何らかの感情を持ってるというのが。私は毒舌キャラみたいな感じになってたから、コイツには強めに言っても大丈夫だみたいに思われてましたし、たとえ雑に振られても、いつでも毒舌で返さなきゃいけない。
——気持ちが休まらないですね。
青木 私の性格には合ってなかったかもしれないですね。それに、想像力もなかった。売れた時の想像力。「売れたらこうなるんだろう」という想像力が全くなかったから、ビックリすることばっかりだったという。
——ブレイク前は、売れることにどんな夢を見ていたんだと思いますか?
青木 テレビに出てる人たちがすごい楽しそうに見えましたよね。笑ってるし、すごい元気で楽しそうにやって。あそこに行けば自分も元気になれるような。元気になれて借金も返せる。
——番組で「今日はうまくやった」という手応えはなかったですか?
青木 それはあります。でも仕事をうまくやれたというのと、心が満たされるがイコールではなかった。
——ああ……元々芸人さんを志向していたら、そこがイコールだったかもしれないけど。
青木 かもしれませんね。たとえばアイドルの子がいて、このままだとこの子が失礼な感じになっちゃうなと思った時に、私がキツいことを言うわけです。何となくそういう役割かなと思ったりして。でもそれで後からファンに叩かれたりすると「救ったんですけど……」みたいな気持ちも出てきたりもする。
ちょっとよく分からないままやってましたよね。その日暮らしというか。軸がなかったんでしょう。
「他人の指示に、とにかく応える」という才能
——本の中で振り返っていた「わたしは芸人の才能はない」「もしわたしに才能があるとしたら、マネージャーをはじめとする青木さやかを作り上げる人たちの、次から次へと出てくるなかなか難しめの指示と仕事量に、しっかりとついていけたことだろう」というくだりがとても印象的で。それはサービス精神ゆえなのでしょうか。
青木 サービス精神という言葉であるならば、すごいサービス精神があったんだと思います。当時ついてくれていたマネージャーさんは「スター」を作ることが得意だったんですよね。そこに乗っかっていく作業はなかなかきついものがあった。頑張って期待に応えていったという感じではありました。
——それはお母様の“教育”の賜だとも書かれていました。
青木 そうですね。私は仕事の期待にも母の期待にも、応える、とにかく応えるということをしてきましたね。そして……結局応えられなくなったから仕事がなくなったんだと思います。毒舌みたいなところを求められて、頑張ってやろうとするけれども、そこは私に技術がなかった。
私は100か0かなんです。たとえば私が誰かにお茶を淹れるとき、すごい高級なお茶が出てくる時もあれば、泥水みたいな時もあるっていう。「そんな安定感のないやつ使えないよ」って仲良い芸人さんに言われたことがあります。要求に応えよう、ベストを尽くそうと思うんだけど、そこにも段々とズレが生じてくる。