賞レースでバズった男女コンビが実際付き合っていたという事実を、テレビが放っておくはずもなかった。テレビでのろけ話を求められるたび、アンゴラ村長の中に「知らない自分」が生まれていく。そんな彼女を救ったのは、たとえコンビ間で離婚してもたとえ高齢でネタを忘れてもそれでも楽しそうに舞台に立つ漫才協会の師匠たちだった。今「相方は楽器」と言い切るアンゴラ村長が、愛憎相半ばするあのキングオブコント決勝のステージを再び目指す理由とは。(全3回の3回目/はじめから読む)
◇◇◇
学年1位で名門校に進学→早稲田大学へ
――小さい頃から芸人になりたいと思っていたのですか。
アンゴラ村長さん(以下、アンゴラ) いや、全くそうではなかったですね。でも、舞台に立ったり、あと、物語を書くのが好きでした。高校生の頃は脚本家になりたかったです。
――埼玉県の公立中学から推薦で早稲田大学本庄高等学院に入学されたと。勉強は得意でしたか。
アンゴラ 勉強はちょっとできるかなぐらいだったんですけど、中2の中間で急に学年で1位を取れたんです。「えっ、私って頭いいかも」って気づいて(笑)。これぐらいの順位だったら推薦狙えるかもってなったので、じゃあ目指してみようかなと。
――すごい。
アンゴラ そこからは戦略的にオール5を取りに行くようになりました。この先生は努力してる子が好きだから、たとえばワークの宿題が出たら、私はワークをまずルーズリーフで3回解いて、最後ワークに書き込んで、このルーズリーフもワークに挟んで提出するという。
――すごい……。
アンゴラ 「これで5でお願いしますね」っていう気持ちです。
――策士だ。
大学でお笑いサークルへ
アンゴラ あの時はすごかったですね(笑)。
――高校卒業後は早稲田大学に進学。お笑いサークル「LUDO」に入ったのはなぜですか。
アンゴラ 高校の時に『ハイスクールマンザイ』*に出て、そこでGパンパンダに出会いました。早稲田に入学したらGパンパンダの2人がLUDOに居て「入っちゃいなよ」と。早稲田には3つお笑いサークルがあるんですけど、新入生歓迎公演もLUDOが一番好き勝手やってました。
*2009年から開催されている吉本興業主催の「高校生お笑いNo.1」を決めるイベント




