日本人の間には、IOCのトーマス・バッハ会長の態度に不満を抱いている人が多い。彼は、日本の多くの市民、特に医療従事者たちの批判を無視して、東京五輪を強行しようとしているからだ。だが彼の人生を見れば、その猪突猛進ぶりは不思議ではない。
バッハの人生の特徴は、挫折のなさだ。スポーツ界・ビジネス界で常に勝者として脚光を浴びてきた。彼は1976年にモントリオール五輪のフェンシング競技(フルーレ団体)で金メダルに輝いた。五輪、世界選手権、ドイツ選手権で勝ち取ったメダルの数は12個にのぼる。
実業界でも成功を重ねた。知名度の高いバッハはドイツ企業にとって垂涎の的で、様々な有名企業が彼を国際部長、監査役、顧問として迎えた。
最も輝かしい経歴を重ねたのは、国際スポーツ界の官僚としてだった。1979年にはドイツスポーツ連盟(DSB)のアスリート委員会の委員長に就任。1991年にIOC委員となったバッハは理事、副会長など様々な役職を経験した後、2013年9月に第9代IOC会長の座を射止めた。
バッハには成功の経験しかないので、一度目標を決めると、周囲の批判を顧みず、ブルドーザーのように強行突破を図る。2016年にロシアで組織的なドーピング証拠隠滅疑惑が浮上した時も、バッハはロシア選手団の全員の締め出しを拒否した。IOCの決定過程の不透明さには、ドイツのアスリート団体などから批判の声が上がっている。
なぜか本人の経歴には傷がつかない
バッハの人生で興味深いのは、周辺の人物や団体に醜聞が流れても、バッハ本人の経歴には全く傷がつかないことだ。たとえばバッハを採用したドイツ企業のA社長。彼はある日本の大手企業とともに、1982年にISLというマーケティング企業をスイスに設立した。(ISLは2001年に倒産)
スイスの検察庁は、2008年にISLの元副社長ら6人の元幹部を詐欺や横領の罪で起訴。元副社長と2人の幹部が有罪判決を受けた。ドイツの調査報道ウエブサイト「コレクティーフ」によると、この公判の中で、ISLがスポーツ大会の放映権などを確保するために、1989年から2001年までにFIFA幹部らに総額1億4200万スイスフラン(171億8200万円・1スイスフラン=121円換算)を超える賄賂を贈っていたことが明らかになった。
ドイツの日刊紙南ドイツ新聞は、A社長を「国際スポーツ界に最初に腐敗をもたらした男」と呼ぶ。A社長が1987年にガンで死去すると、バッハは同社を去った。バッハはメディアに対して、「A社長の関連会社の不正については全く聞いたことがない」と語っている。
またバッハは2006年から7年間、アラブ・ドイツ商工会議所(Ghorfa)の会長を務めた。この団体の任務は、アラブ諸国とドイツ企業間の貿易を促進することだった。ユダヤ系メディアから「Ghorfaは一時ドイツからの輸出品にイスラエル製部品が使われていないことを認証していた、これはイスラエル製品のボイコットに相当する」と批判されたことがある。Ghorfaはボイコットの事実を否定した。