今季初、満を持して上がった神宮のマウンドは雨に濡れていた
会心のゲームだった。試合前から断続的に雨が降り続き、決して観戦日和とは言い難い一日だった。途中39分間の中断を経て、結局は降雨コールドゲームとなった。本来ならば「不完全な試合だった」と言えるかもしれない。それでも、一塁側、そしてライト側を中心としたヤクルトファンの表情はとても晴れやかだったように見えた――。
6月4日、神宮球場で行われた対埼玉西武ライオンズ1回戦。先発マウンドに上がったのは石川雅規だった。4月16日の対阪神タイガース戦で先発して好投したものの、それ以来なかなか登板機会に恵まれず、満を持してのマウンドだった。一方、西武の先発は5勝無敗の高橋光成。今シーズンは、ここまで盤石なピッチングを見せていた。
二軍での登板間隔を考え、他のピッチャーの起用法を見ると、「おそらく6月4日に石川は先発するのでは?」と推理を働かせた僕は、この日の石川の表情を至近距離から目撃すべく、バックネット裏チケットを購入していた。あえて、ホームベースから若干サード寄りの席。ここならば、ちょうど一塁側ベンチの中もよく見渡せるのだ。以前、伊藤智仁コーチの半生を描いた『幸運な男』という本を出版した際に、この席からならばベンチ内がよく見通せるということに気づいていたのだ。
こうして、小雨交じりの中で試合は始まった。肉眼でもハッキリ見えるのに、双眼鏡も持参していたので、小さな石川がとても大きく見える。やや緊張した面持ちを見て、僕の緊張感もさらに高まってくる。この日の石川は調子がよさそうだった。ストライク先行で、見ていてとても気持ちがいい。
足を長く上げたり、クイック気味にしてみたり、一球ごとに投球間隔を変えているのがよくわかる。スコアボードに映し出される球速表示は決して速くはない。それでも、西武の山賊打線が振り遅れたり、詰まったりしている姿を見ると、改めて「ピッチャーはスピードがすべてじゃないんだ」とよく理解できる。
初回を危なげなく三者凡退で切り抜けると、ヤクルト打線は1回裏に1点を先制。通算174勝目を目指す石川に幸先のいいプレゼントを贈った。2回表は2死から愛斗にヒットを打たれたものの、絶妙な牽制で誘い出して盗塁死。この回も3人で切り抜けた。
(やっぱり、今日の石川は絶好調だぞ……)
胸の内に息づく静かなる興奮を抱きつつ、曇天模様の空の下、試合は進んでいった……。
「キャリアハイを更新するつもり」。石川の「強い言葉」には根拠がある
書籍化を前提に、石川雅規に定期的に話を聞く連載が決まったのは今年の初めのことだった。1カ月に一度、もしくは数回程度、折々の心境を尋ねつつ、彼の生き様、プロとしての矜持を探っていこうという企画だった。同時進行で、石川とゆかりのある人物――両親、地元秋田の友人、アマチュア時代の恩師、元チームメイトなどなど――にも話を聞き、石川の魅力を多面的に描くつもりだった。
連載期間、そして書籍の発売時期は未定だ。出版社、編集者とは「石川さんが200勝を達成するまで追い続けましょう」と事前に話し合っている。今シーズン開幕前の時点で、石川の通算勝利数は173。200勝まで、「残り27勝」となっていた。不振にあえいだ昨年は、キャリアワーストとなる2勝8敗という成績だった。プロ20年目、すでに41歳の石川にとって「残り27勝」という数字は決して簡単なものではない。それは周囲はもちろん、本人も自覚している。
しかし、数回のインタビューを通じて、僕は石川の「強い言葉」に知らず知らずのうちに「洗脳」されていくことになる。たとえば、今年の春のキャンプ中に石川はこんな言葉を口にした。
「今年でプロ20年目ですけど、自分の中ではキャリアハイを更新するつもりでいるんです。周りの人には、“何、言ってるんだよ”って思われるかも知れないですけど、本気です」
以降も、こうした「強い言葉」は何度も耳にした。はじめは「自分に言い聞かせるように、あえてそう思い込むことで自らを洗脳しようとしているのでは?」と思っていた。しかし、何度かインタビューを繰り返すうちに、次第に僕の考えも改められてくる。
(石川さんは、本気でそう考えているのではないか……)
その根拠はいくつもある。新しい変化球をマスターしたこと、体調不良による開幕二軍スタートによって、集中的に身体を鍛え直すことができたこと、肩、ひじが近年にないほど万全であること、質の高い練習ができていること、“早く一軍で投げたい”という思いがモチベーションアップにつながっていること……。
こうした言葉を何度も聞いているうちに、僕自身も「今年の石川はやるのではないか?」という気持ちになってきたのだ。石川の強い言葉は真実なのか? それとも、単なる自己暗示に過ぎないのか? その真偽が問われるのが、満を持して神宮球場のマウンドに上がったこの日の試合だったのである。