もうそこまで、お迎えが来とるぞ
2020年2月11日午前2時頃。野村は自宅の風呂の中で倒れ、救急車で都内の病院に運ばれた。息子の克則は、楽天コーチとして春季キャンプ先の沖縄にいた。
「キャンプへ行く前、全然、兆候はなかった。元気だった。だから……。でもね、電話が鳴った瞬間、わかった。嫁さんがホテルに電話をしてきた。夜中の2時くらいで、オレ、もう寝ていたから。最初、オレの携帯電話を鳴らしたらしいんだけど、寝ていて気づかなかった。ホテルの部屋の電話が鳴ったの。ぷるるるるるって。『なんだ、こんな時間に』と思って、受話器を取った。ホテルの人の声がして、『奥様からお電話です。おつなぎしてよろしいですか?』と。そう言われた瞬間、『ああ、なんかあったな』と思った。おふくろの時もそうだったから」
そこまで語ると、克則はすーっと息を吸った。
「『もうダメかも、もうダメかも』と連絡が来た、取り乱した嫁さんから……」
対応に追われたのは、妻の有紀子だった。
「沖縄でキャンプ中なのに、東京の私から電話がかかってくるなんて、用件はそれしかないと、克則さんは思ったようです。私、もう、自分の名前も言えないくらいだったから……。克則さんが『どうした? どうした? どうした?』って。『監督が』って私が言った瞬間、二人でうわーって泣いて……。
そのとき、監督はお風呂に入っていたんです。夜型なので、遅い時間に入るんです。何かあったらいけないと思って、2年前から、泊まりのお手伝いさんをお願いしていました。お手伝いさんが私の携帯電話を鳴らしてきて、『監督が!』と言うから、もうバッと布団から出て、隣の監督の家に入って……。
監督はお風呂の中だったし、動いていないし、お義母さんのときの経験があるから、『とにかく救急車!』と。克則さんのホテルに電話を入れようとしたら、私、動揺していて、電話番号を押すのを間違えて、0を1個少なく押してしまって、『かからない!』って、一人でものすごく取り乱していました。
お義母さんが倒れたときは、お手伝いさんもお義父さんもいらした。今回はお手伝いさんがいてくれた。でも二人の力でも、お義父さんの体をお風呂の中から持ち上げられなくて……。救急隊の方は、野村監督だとわかって、すぐに『行きましょう』と駆け付けて引き上げてくれて、病院に連れて行ってくれて。お義父さん、『苦しみたくない。痛いのは嫌だ』とずっとおっしゃっていたんで……。お風呂で、一番いいところで、気持ちがいい状態で……」
克則は朝7時台の那覇発、羽田行の飛行機に飛び乗った。そのまま、都内の警察で父と対面した。
「飛行機から降りるまでは父の死が漏れないように、と思っていたけど、速報が流れたのは早かった。自宅で亡くなると、警察に連絡が行くんだね」
と克則は衝撃を受けた。有紀子も驚きを隠せなかった。病院の霊安室に警察が来たのは、午前4時半頃。野村の体は警察署に移送された。事件性の有無を調べるためだった。
「事情聴収や現場検証がありました。食べたものは何か、どこから部屋に入ったか、風呂の水はどこまで入っていたかも聞かれ、『状況を再現してください』と言われ、椅子や机の位置を確認されました。悲しみに浸ることもできなくて、精神的におかしな感じになりました。警察の人が迎えに来るんですよ、霊安室に……」
涙ながらに語る有紀子の話を聞きながら、野村夫妻はどれほど頼りになる“娘”に支えられていたか、改めて気づかされた。
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