野村克也氏の息子といえば、野村沙知代との間に産まれ、現在東北楽天ゴールデンイーグルスで二軍育成捕手コーチを務める野村克則氏を思い浮かべる方が多いだろう。しかし、野村克也氏には、先妻との間に儲けたもう一人の息子がいる。

 死を予期した野村克也氏は、これまで顔を合わせていなかった二人の息子の縁を手繰り寄せた。その際の野村克則氏の心中はいったいどんなものだっただろう。ここでは、番記者としてヤクルト時代の野村克也監督を担当していた飯田絵美氏の著書『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』の一部を抜粋。父・野村克也の情の深さが垣間見えるエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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先妻との息子を克則に会わせて良かったのか……

 野村が亡くなった当日、遺族は弔問客への対応に追われていたが、夜になり、ひと段落したところで、克則がはにかむように、打ち明けた。

「僕ね、もう一人のお兄さんに会ったんだ」

 驚きのあまり、私はそれまでの涙が止まった。

「えっ! いつ?」

「昨年の春頃だったよ。監督と一緒に、初めて会ったんだ。会う前は、いろいろなことを思っていたけど……。会って良かった。ほんと、心からそう思ったよ」

 車椅子に座る野村を挟んで、二人の息子が対面する姿を、私は思い浮かべた。

「良かったね、良かったね。かっちゃん」

 そして、涙があふれるのも構わず、私は眠り続けている野村に語りかけた。

「監督、良かったですね」

 野村のDNAを受け継ぐ息子たちが、縁を結んだ。それは2019年、4月のことだった。関西から先妻の息子が上京し、野村と会った。

野村克也氏 ©文藝春秋

「どうして親父と息子さんが会うことになったのか、そのいきさつは知らない……。親父から『一緒に行くか?』と誘われたわけではないんだ。『会うことになった』と、親父が僕に声をかけてきた。それを聞いて、少し考えて、『僕も行きます』と応えたんだよ。なんで自分は行ったんだろう……。『会っておいた方がいい』。そう思ったんだよね。そうとしか、言えない」

 頭をひねって思い出し、言葉につかえながら、手はせわしなく携帯電話を動かしていた。やがて、携帯電話に保存している自分の息子や娘の写真を、誇らしげに私に見せた。

 血をわけた兄について語ることは、勇気がいったのだと悟った。わが子の写真を、心を落ち着けるための御守りのように、画面の上からなでた。

「僕も行きます」

 克則の言葉を聞いて、野村は激しく動揺したが、受け入れた。そして、野村家御用達のホテルへともに向かった。

 急遽同行することを決めた克則は、Tシャツにチェックのシャツをはおり、ジーンズという軽装だった。かしこまった感じで会いたくない、という思いもあったのかもしれない。それでも、複雑な感情や葛藤、不安、緊張に押しつぶされそうだった。