野村が沙知代や家族と何百回となく通った、馴染みの中華料理店が対面の舞台となった。
広々としたメーンエリアから少し離れ、通路を挟んだ向かい側にある半個室が用意された。扉が閉まる完全個室ではなく、パーテーションで間仕切られ、ほどよく開放的、かつ私的な空間を保てる場をあえて選んだ。
克則には申し訳ないことをした
野村と克則は、仕切りの向こう側に、足を踏み入れた。緊張に包まれながら、円卓のテーブルに座った。
「会った瞬間は……それはなんとも……。いまでも、うまく表現ができない。でも、『会って良かった』。そう思ったのは確か。まあ、でも、あの、良かったと思っているよ。うん、お互いにちゃんとお話ができているし。うん、まあ、ね。
ここに来るまで、いろんなことがあったんだろうけど。もう一人の息子さんは、野球をやっていない。ビジネスマン。でも、野球が大好きな人。阪神ファンだから。大阪球場の近くで育った、と。
『今年の阪神、どうにかなりませんかね? 克則さん、阪神はどうしたら強くなりますかね?』と訊かれた。『矢野さんが監督をやっているから、これからの阪神はもっと強くなりますよ。僕はそう思います』と答えたら、『言っている通りになりましたね』と、シーズン後にメールが来てね。結局、そのシーズン、阪神は3位になったんじゃないかな。そう、対面して以来、何度かメールのやり取りをしているから」
“兄”は、克則より一回りほど年上だった。野村が南海のスター選手だった頃に生まれ、両親が離婚するとき、「お父さんと一緒にいたい」と願った少年は、還暦に近い年齢になっていた。
葛藤を乗り越え、集まった父と息子たち。野村と克則は、その日、何を食べたか、味を覚えていないほど緊張していた。
だが、これだけははっきりしていた。父が人生を通して挑んだ“野球”を、二人の息子も愛していた。野球が、野村家の潤滑油になった。
「親父に似ているよ。骨格とか、しゃべり方とか、ちょっと雰囲気があるよ。実際に会ってみると、写真よりけっこう似ている。向こうには、大学生くらいの息子さんがいて。ウチの息子と同じくらいの年齢なんだって」
父と似た顔立ち、自分と似た家族構成。共通点が二人の心を和らげた。
だが“親父”には、新たな悩みが生じていた。
血を分けた息子二人は、異なる家庭で育った。父として、息子にどう接することが正解だったのか……二人を会わせたことで、野村にはさらにわからなくなったのだ。特に、年の離れた“弟”である克則がどう感じたのか。それが気がかりだった。
それを聞いて、私は野村と交わしたやり取りをなぞってみた。
「もう一人の息子さんに会った方がいいです。後悔を残さないために」
対面の前の年に、こう野村に切り出したのは、私だった。野村は間髪を容れず言った。
「克則たちが、なんと言うか……」
あのときも、息子の気持ちをまず一番に思いやった。それでも野村は、自分の人生に後悔を残さないため、もう一度、“息子”と会う決意をした。
果たして、息子同士を会わせて良かったのか、会わせない方が良かったのか……。