「いい父親だったのだろうか」という問いへの答え
死の6カ月前から前の月まで、野村親子の特集番組を制作するため、NHKが密着取材をしていた。
「自分が親父についてどう思っているかを語る、という場面があって、親父がいないところで、『本人に面と向かって言ったことはないけど、やっぱり親父の息子で良かったなあって思います』と話したんだ。その映像を後から見た親父は、『おお、こんなことを言っているんだ』とすごく感激していた。『ホッとした』と。『いい父親だったのだろうか』という親父の問いに対する、これが僕の答えです。亡くなる半年前まで、息子がどう思っているかを気にしていた親父が、最後に答えを聞けたね。うーん、これ、本のいい締めくくりになるね」
おどけたように、克則は小さく笑い声をたてた。照れ臭さを隠したその言葉に、深い温かみがこもっていた。
自分は何をこの世に残したのだろう。何を人に与えたのか。
人生を振り返った。間に合わなくなる前に、息子と息子の縁をつないだ。
野村にはもはや、この世にやり残したことはなかっただろう。
主を相次いで喪った野村家のリビングルームには、仏壇の脇に2枚の写真が飾られている。
野村が写っているものは、義理の娘・有紀子によって、亡くなる数カ月前に撮影された。沙知代のものは、亡くなる2週間前に、息子の克則の手で撮られた。
その写真を見たとき、いったい誰なのか、瞬時に判別できなかった。撮影者に向けて笑いかけ、話しかけようとした瞬間を、永遠に閉じ込めたような優しいまなざし――。
鎧を脱ぎ捨てることができた“家”で、気を許せる相手に見せた無防備な表情。その愛らしさに、私は胸打たれた。
「この写真が一番好きだ。この写真じゃなきゃ嫌だ」
父と母の家族葬の際、この写真を使いたいと克則は主張した。世間が持つイメージとはかけ離れたものだったが、息子にとって、これが真実の父と母だった。
さらに、克則は無言のまま、次々に野村の写真を私に見せた。克則がふざけて頭にタオルを巻きつけるのを、笑って許した風呂上りの父。かつて売り歩いたアイスキャンディを、京都・峰山の寺の境内で小学5年の孫と一緒にほおばる父。
幼い頃の空白を埋めるように、父子は濃密な時間を過ごしたのだ。
そして、人生の幕を閉じる最期の1年半、教え子たちと再会し「ありがとう」「悪かったな」と伝えた。血のつながった二人の息子の縁を手繰り寄せた。
洗練された振る舞いは得意ではなかったが、“父と息子たち”は心を通い合わせた。
およそ70年という長いプロ野球人生。書き綴ってきたノートを“ノムラの考え”と名付け、その冒頭に記した。
「この“ノムラの考え”は、永久に完成を見ないでしょう。何故なら、野球は常に進化し、変化しているからです」
愚直に誠実に懸命に野球を追求した。そこで出会った幾千の“息子たち”の中で、これからも永遠に生き続ける。
【前編を読む】「頑張ってるか。オレはまだ生きてるぞ」野村克也が因縁のライバル・長嶋茂雄と交わした“最後の会話”