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2021/06/28

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, スポーツ

「いい父親だったのだろうか」という問いへの答え

 死の6カ月前から前の月まで、野村親子の特集番組を制作するため、NHKが密着取材をしていた。

「自分が親父についてどう思っているかを語る、という場面があって、親父がいないところで、『本人に面と向かって言ったことはないけど、やっぱり親父の息子で良かったなあって思います』と話したんだ。その映像を後から見た親父は、『おお、こんなことを言っているんだ』とすごく感激していた。『ホッとした』と。『いい父親だったのだろうか』という親父の問いに対する、これが僕の答えです。亡くなる半年前まで、息子がどう思っているかを気にしていた親父が、最後に答えを聞けたね。うーん、これ、本のいい締めくくりになるね」

 おどけたように、克則は小さく笑い声をたてた。照れ臭さを隠したその言葉に、深い温かみがこもっていた。

 自分は何をこの世に残したのだろう。何を人に与えたのか。

 人生を振り返った。間に合わなくなる前に、息子と息子の縁をつないだ。

 野村にはもはや、この世にやり残したことはなかっただろう。

 主を相次いで喪った野村家のリビングルームには、仏壇の脇に2枚の写真が飾られている。

 野村が写っているものは、義理の娘・有紀子によって、亡くなる数カ月前に撮影された。沙知代のものは、亡くなる2週間前に、息子の克則の手で撮られた。

 その写真を見たとき、いったい誰なのか、瞬時に判別できなかった。撮影者に向けて笑いかけ、話しかけようとした瞬間を、永遠に閉じ込めたような優しいまなざし――。

 鎧を脱ぎ捨てることができた“家”で、気を許せる相手に見せた無防備な表情。その愛らしさに、私は胸打たれた。

「この写真が一番好きだ。この写真じゃなきゃ嫌だ」

 父と母の家族葬の際、この写真を使いたいと克則は主張した。世間が持つイメージとはかけ離れたものだったが、息子にとって、これが真実の父と母だった。

 さらに、克則は無言のまま、次々に野村の写真を私に見せた。克則がふざけて頭にタオルを巻きつけるのを、笑って許した風呂上りの父。かつて売り歩いたアイスキャンディを、京都・峰山の寺の境内で小学5年の孫と一緒にほおばる父。

 幼い頃の空白を埋めるように、父子は濃密な時間を過ごしたのだ。

 そして、人生の幕を閉じる最期の1年半、教え子たちと再会し「ありがとう」「悪かったな」と伝えた。血のつながった二人の息子の縁を手繰り寄せた。

 洗練された振る舞いは得意ではなかったが、“父と息子たち”は心を通い合わせた。

 およそ70年という長いプロ野球人生。書き綴ってきたノートを“ノムラの考え”と名付け、その冒頭に記した。

「この“ノムラの考え”は、永久に完成を見ないでしょう。何故なら、野球は常に進化し、変化しているからです」

 愚直に誠実に懸命に野球を追求した。そこで出会った幾千の“息子たち”の中で、これからも永遠に生き続ける。

©iStock.com

【前編を読む】「頑張ってるか。オレはまだ生きてるぞ」野村克也が因縁のライバル・長嶋茂雄と交わした“最後の会話”

遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと

飯田 絵美

文藝春秋

2021年6月28日 発売

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