加藤剛は映画・テレビ・舞台を通して「正義と信念を貫き通す生真面目な男」を一貫して演じ続けてきた。
ただ時折、そのイメージを逆手にとってキャスティングされることもあった。たとえば『影の車』『砂の器』といった松本清張原作の映画では、いかにも実直そうな加藤が演じているからこそ、「実は少年時代に過酷な経験をしていた」という過去の暴露が意外性をもって映し出されている。
そして、今回取り上げる『子連れ狼 死に風に向う乳母車』もまた、加藤のキャラクターを巧みに使って意外性を生み出した作品である。
本作は若山富三郎扮する拝一刀が幼い一子・大五郎と共に、刺客稼業を請負いながら放浪の旅を続ける、七〇年代初頭に大ヒットした時代劇シリーズの第三弾。加藤が演じる官兵衛は、特定の主家を持たずに参勤交代の度にさまざまな大名家の行列に人数合わせのために雇われる「渡り徒士(かち)」。ガラの悪い者が多い「渡り徒士」の中にあって、官兵衛はただ一人、決して輪に加わることなく凜としたたたずまいを貫いている。まさに、加藤にピッタリの役柄だ。
が、そんな男が序盤でとんでもない行動に出るのだ。
官兵衛と共に行動する粗暴な渡り徒士たちは、道中で出会った旅の女たちを犯す。女たちの付き人が助けに入り乱闘となり、徒士たちは官兵衛に助けを求めた。その瞬間、官兵衛は刀を抜き、付き人を一刀の下に斬り伏せてしまう。それだけでは終わらない。怯える女たちを見て表情を歪ませ、「見ないでくれ……」と女たちをも斬り殺すのである。
そこまでのいかにも加藤剛らしい実直な姿が見事な振り幅として効いているからこそ、観る側はその後の狂気の様を鮮烈な衝撃とともに受け止めることになる。加藤でなければ、これだけの落差を表現することはできなかっただろう。
そして、ここからが加藤の真骨頂となっていく。官兵衛は、一部始終を目撃した一刀に、そうと分かった上で立ち合いを申し込む。そこには、先程の狂気は微塵もない。冒頭の凜とした侍に戻っている。対峙してすぐ一刀は去る。「真(まこと)の武士として残しておきたい」と言い残して。一人立ちすくむ官兵衛は「俺はまた、死に損なった」と呟く。この時の加藤に浮かぶニヒルな微笑を見ていると、死に場所を求めて彷徨(さまよ)う絶望感が伝わってきて、凶行に及んだのも余程の辛い過去がトラウマになっているのだろう――と、むしろ切なく思えてきた。
実直さと狂気を瞬時に演じ分けながら、一人の男の魂の修羅を表現する。短い出演場面ながら加藤剛の凄さを再確認することのできる作品だ。