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“可愛すぎるジュノンボーイ”で脚光を浴びて…井手上漠が「性別はありません」と言う理由

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 いつ頃から「性別」を意識するようになったかというと、始まりと言えるのは、小学校高学年くらい。その頃から、体育の授業のときに、男はこっち、女はこっちで着替えるといったように、男性/女性で区別されるようになりますよね。

 それまで、私は仲の良い友だちが女の子ばかりだったので、いつも一緒に行動していたのですが、“男性側”に寄せられることが増え、初めて違和感を覚えるようになりました。でも、自分は生物学的に男の子だから“こっち”なんだというのは“分かっていた”ので、違和感があったものの、苦ではありませんでした。

好きなものを好きと言えなくなり、髪も切った

 そのうち、私の見た目や“男の子らしくない”言動に対して、だんだんと周りの人たちから「男らしくしろ」と言われるようになりました。「気持ち悪い」と言われたときに、「えっ、私のどこが?」って思ったんです。自分は“普通に”楽しく生きてきただけなのに。

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「あ、自分ってそういう存在なんだ。浮いてる存在なんだ」と、心の成長と共に感じるようになりました。そこでハッキリと「性別」を意識せざるを得ませんでした。周りからの言葉によって、「私って変なのかな?」と感じるようになったんです。

 

 そこから、急に周囲の視線が気になるようになった私は、それまで好きだったものを堂々と好きと言えなくなり、長かった髪の毛もバッサリ切りました。世の中が「男の子とはこういうもの」としている姿を演じるようになりましたが、自分を隠して“普通”を偽ることは、苦痛で仕方がなかった。本来は我慢しなくていいことなのに、我慢しなければいけない。

 どれほどの苦痛だったかと言えば、例えると、服を着て外に行きたいのに、裸で外に出ろと言われている感覚です。鮮やかだった私の日常は色を失い、どんどん孤独を感じるようになりました。