違和感のある母と娘
一見するとやはり母と娘の親子のように見える。しかし、私とディレクターはいくつか違和感を覚えていた。母親と思われる女性の服装は2日間ともまったく同じであったこと。遠目には普通に会話しているように見えたが、二人の表情が思いのほか険しかったこと。あとはなぜか、年配の女性がドアを開けないと後部座席からもう一人の女性が降りてこないこと。車外に危険のある場合ならわかるが、ほとんど人のいない早朝の道の駅の駐車場である。ましてや当人は制服を着た10代の女性。幼稚園や小学生の子どもではない。
この二人にはどんな事情があるのだろうか? 仮に車上で生活しているのであれば、なんらかの支援が必要なのではないか? 私たちは貧困支援を行っている地元のNPOと連絡をとった。しかし担当者も女性二人の車上生活者は見たことがないという。ただ、もしかするとこの二人はDVの被害者で、家族の暴力から逃れるために一時的に車中で生活をしているのかもしれないということだった。
DVの恐怖と冬の寒さに耐えつつ、さらに車で寝泊まりしながら学校に通わなければいけない生活。もしもそんな状況に置かれているのだとしたら、そのつらさは想像すらできない。
あいにくNPOの担当者は緊急の支援を行う案件に対応しており、今すぐ彼女たちに手を差し伸べることができない状況だという。なんとか支援につなげたいというディレクターの思いから、翌日こちらから声をかけることになった。
正しい表現ではないかもしれないが、今回の番組の取材は「観察」からすべてが始まっている。
現場に臨む際、我々が知っているのは、車上生活者が“そこにいるかもしれない”ということだけ。年齢、風貌、健康状態。いつから車上生活を始めたのか、そしていつまでこの車での暮らしを続けるつもりなのか……。取材対象がどういう人物かを語る上で、最低限の情報すら持ち合わせていない。つまりほとんど何も知らないのだ。だから、ひたすら観察するしかなかった。
「この3日間、早朝からこの道の駅に来ていないか」と聞くと…
3日目の朝、白い車はこの日も道の駅に停まっていた。いつもと同じ、敷地内で最も暗い奥側の駐車枠だった。
午前7時過ぎ、以前とまったく同じ時間に目張りが外され、駐車場内を移動する。車から二人が降りてきた。年上の女性は3日間まったく同じ服装、少女は今日も制服を着ていた。女性たちが向かった先は道の駅のトイレ。洗面所で身支度を整えているのだろうか?
30分ほどが経ち、年上の女性が先に出てきた。遠目に見てもかなり痩せているのがわかる。さらに10分ほどあとに少女も出てきた。道の駅の正面、広場のようになった幅広い歩道を並んで歩く二人にディレクターが近づく。