一瞬、前にのめって倒れたヒグマは人々の騒ぐ大声に再び立ちあがり、あっというまに薄暗い密林へ逃げこもうとした。私は狼狽して、2弾、3弾と連射したが、銃口にブッシュがあり、正確な狙いはつけにくかった。そして結局は逃がしてしまった。
夜陰のことでもあり、追跡は危険だった。馬たちも静まったので、夜が明けたら──と、一同は小屋へはいって枕についた。しかし、私は残念で寝つかれない。手負いのヒグマほど恐ろしいものはないし、ヒグマの狙っている馬はつながれている。だから、いつ再び襲来するかもしれなかった。私はくやしさに悶々として、ついに一睡もできぬままに朝を迎えた。
一瞬の不安が頭をよぎり仕留め損ねた
駅逓所の馬子は、その日一日は山に滞在して遊ぶ予定だったが、昨夜の椿事でおじけづき、急に帰るといいだした。われわれも、馬がいてはヒグマの餌がおいてあるようなもので危険このうえないから、帰ってもらったほうが安心だった。いずれ迎えにきてもらう約束をして、早朝、馬子はラッパを吹き吹き、三頭の官馬は首にさげた鈴をチリン、チリンと鳴らしつつ密林の山道を下山していった。
私は充分の警戒をしながら、単身で昨夜ヒグマの逃げこんだ密林内へ踏みこんで行った。どす黒い血が風倒木を乗り越えていったところなどに相当についていて、血のまわりに大きな青蠅がブンブン飛びまわっている。
30メートルばかりも用心深く銃を中段に構えてジャングルをわけ、血痕を辿っていったが、まもなく血痕は見られなくなった。
おそらく、ヒグマは傷口に草かなにかをつめて血止めをしたに違いない。急所をはずれたのだ。これではとても駄目だ──と、あきらめて私は引き返した。
この山は、北海道の山々とは比較にならないひどいジャングルで、根曲り竹の藪にハイマツ、シラカバなどが枝を交差していて、一歩も足を踏みこむ隙間がない。このなかへよく逃げこんだものだ──と、とうとうカブトをぬがざるをえなかった。
私は失敗の原因を深く反省した。
初弾で倒れたヒグマに、つづいて第2弾を浴びせかければ、致命傷を負わすことは確実だった。だが、馬たちがサオ立ちになったところへ第2弾の爆音を起こしたら、恐怖に狂った馬は綱を切って逃げてしまう。その不安が、一瞬私の頭をかすめたために速射できなかった。逃げ出したところへ2弾、3弾と送ったが、1弾で倒したという欲目が心のゆるみとなり、逃げても遠くへはいかず、すぐに倒れるだろうと考えたのが、正確な照準を誤らせたのだ。
私は、自分の狩猟道の修業はまだまだだ、と自問自答しながら、愛銃ウインチェスターを握りしめたのだった。
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