大正から昭和にかけて、猟銃を携え北海道の原野を駆けめぐった狩人・西村武重。

 未開の森林渓谷を探し、狩猟と釣りを楽しみ、北海道中標津の分村直後には議会議員としても活躍した男が、かつての日々を振り返った手記をまとめた書籍『ヒグマとの戦い』(山と溪谷社)が話題を呼んでいる。

 ここでは同書の一部を抜粋。エトロフ島にある指臼山の硫黄鉱探検に出向き、人喰いヒグマの襲撃に遭った際の忘れられない後悔について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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指臼の硫黄山

 思わぬ道草を喰って時間を空費したので、われわれは指臼山を真向うに眺めながら足を早めた。

 雨あがりの湿地の、羊羹のように柔らかい黒い泥土のなかに、大きなヒグマの足跡があった。鋭い爪の喰いこんだ跡がハッキリわかる。はじめは一頭かと思ったが、だんだん気がついてみると、なんと三頭だとわかった。彼らの足跡のついた道をわれわれも行くのだから気味がわるい。

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 私はウインチェスター15連を装填して、先頭を進んでいく。私が小用のためにちょっと後になったとき、駄馬はヒグマの臭いがわかり、大きな鼻息をフウーッ、フウーッと鳴らして尻ごみして前進しない。路傍には、行っても行っても珍しい高山植物がつきることないのだが、もうヒグマの足跡以外には目にはいらない。いつどこでヒグマがあらわれるかわからないので、油断することはできない。

 途中でヒグマの足跡がなくなったので、ヤレヤレと安心して登っていったが、2キロも行ったかと思うころ、またまた足跡があらわれ、気を許せなくなった。かくして2時間以上にもわたって、われわれはヒグマと一緒に歩いているような気持を味わった。

 やがてエトロフ島の、東西の分水嶺に達した。ふり返れば、西方、目の下に紗那港が眺められ、オホーツク海ははてしない雲霞のなかにとざされて渺茫としている。一転して東方は、山巓重畳として、渓谷は深く懐をえぐって無数に海岸へ駆け走って、ただただ青い樹海だけであった。遠い太平洋の海岸線は、白波が一線を画しているのが目にはいる。洋上数千メートル先にポツンと黒煙を残して北進するものがあり、双眼鏡で探索すると、黒い箸ぐらいのものが波間に見え隠れする。同じ間隔をおいて進む三体は、北洋警備の日本軍艦ででもあろうか。