大正から昭和にかけて北海道札幌郡篠路村には、山野を縦横無尽に駆け巡り、狩猟に釣り、温泉開発、鉱山発掘などフロンティアマンとしてその時代を生き抜いた男がいた。その男の名は西村武重。
ここでは同氏が若き日の冒険譚をまとめた著書『ヒグマとの戦い』(山と溪谷社)の一部を抜粋。猟へ出かけ、ヒグマを仕留めた際の一部始終を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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ケネカ川の大ヒグマ
昭和10年の秋、標津原野にある標津川の支流ケネカ川の上流へカモ撃ちに出猟した。場所はケネウオッカベツ水源地方面である。
この日は10月小春という快晴で、川辺の大フキの下を注意深くくぐっていった。川沿いの肥沃な土壌に密生しているフキは私の背丈よりもはるかに高く、ちょうど葉の分だけ私の頭の上にかぶさってしまう。外から眺めると、人間が歩いているとはちょっとわかりにくい。こんな大きなフキ原で、万が一にもヒグマに出会ったら大変だぞ──と、私は愛銃を構えて進んだ。
ケネベツ川の水面を見まわしながら、フキ原からでたり、引っこんだりして静かに歩いていき、やがて川辺のアカタモの老木の根もとに手をかけてなにげなく水面を偵察しようとしたとき、不意に、マガモがギャアーッ、ギャアーッと、二声、三声、けたたましく鳴きながら水面をたたいて飛び去った。私は一瞬たじろいだが、素早くダァーン、ダァーンと速射。川辺におおいかぶさっているイラクサやナナツバの下から狙い撃ちした。バサッ、バサッ、ジャボン──と、草原に、あるいは水面にと、小気味よくマガモは舞い落ちた。飛び立とうとしたものばかり6羽を仕とめたのであった。だいたい、マガモの飛び立ちは緩慢だから、射手が狼狽しないかぎり撃ち損じることはない。
まず、今日の猟はさい先よしとばかりほくそ笑んで、さらに川をくだる。それから3ヵ所、いずれもよく肥満した青首のマガモばかり5羽を獲った。合計11羽。重量は4貫目(15キロ)あまりとなり、猟嚢は肩に喰いこんで重くなった。もう日も西に傾き、摩周岳の肩にかかった。そろそろきりあげようと、一服すべくフキの葉を敷いて坐った。
私は喫煙家ではないので、タバコのかわりにキャラメルを放さない。一つ、二つしゃぶって休憩である。ところが、だいぶ狩り歩いたので軽い疲労をおぼえ、静かな暖かい天気なので、知らず知らずに居眠りをはじめた。ハッと気がついて、帰らなくては──と思いながら、ついまたウツラ、ウツラと睡魔に襲われてしまい、とうとう深い眠りに陥ってしまった。
そのまま何時間たったか──夢うつつのうちになにものかの物音にハッと目が醒めた。大きなフキの葉を5、6枚折りとって敷布団がわりにして寝ていたので、耳をあてていた地面にかすかに地響きが感じられたのである。ハテ? なんだろう──と、きき耳をたてていると、たしかになにかの足音でそれがだんだん近寄ってくるのだ。