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 私は反射的に銃をとりあげ、ナラの大木の根もとへ、物音のする反対側に素早く身をかくした。人間や牛や馬ではない。とすればヒグマに違いない。私ははやる心臓をおし鎮めて、五連のカモ猟用の5号弾を手早くアイデアル弾に装填しかえた。

 さあ、こい──と思った。

 しかし、足音はあいかわらず悠々漫歩。そこら辺を遊びながらのんきに近づいてくる気配だった。ヒグマにとっては急ぐ用があるはずもなく、ケネカ川の密林のなかでは警戒することもないので、ゆっくり遊んでいるに違いなかった。ヒグマは、猟人が手ぐすねひいて待機しているとはまるで知るよしもなかったのだ。

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音はすれども姿は…危険きわまる瀬戸ぎわ

 ケネカ川の堤防地区内に繁茂するアカタモ、ヤチダモ、シラカバ、ナラ、ハンノキ、シコロ、セン、ドロノキ、その他神代から斧を知らぬ原生林は、彼らヒグマの、祖先伝来の憩いの場所だったのだろう。老大木の下には、ドスナラ(ハシドイ)、エリマキ、マユミ、ニワトコ、ヤナギなどの灌木と、そのなかにまじってフキ、ボーナ、ナナツバ、クマザサなどが生え、湿地にはガマ、ヨシ、スゲ、アイヌワラ、その他の雑草がびっしりと茂っている。そのなかをあいかわらず悠々と、少しずつ足音は近づいてくる。

 ナナツバの花が揺れ、フキの葉が動く。フキを踏み折る音、踏みつぶす音が、ボキン、ボキン、グシャッ、グシャッとする。だいたいの見当はつくが、いくらすかして見てもヒグマの姿が見えない。フキの葉の揺れかたから判断すれば、40メートルあるかなしかの距離。だが、さっぱり姿が見えない。まさか牧場を脱走してきた牛や馬ではあるまい。ヒグマだ、ヒグマに違いない──とは思うものの、それが見えないかぎり断定はできない。

©iStock.com

 川沿いの堤防や野地は起伏がさまざまで、近いようでも遠かったりする。私はすっかりシビレをきらせた格好だった。ワタドロの老大木の根もとを楯にして身をひそめ、いまや遅しと待ちかまえる。12番ブローニングにアイデアル弾、一発必殺の態勢である。万が一にも撃ち損じて手負いにしようものなら、逆襲は当然のこと。一跳躍して、猫がネズミを捕えるようにして躍りかかってくる──という危険きわまる瀬戸ぎわである。まさに生命のやりとりだが、だからこそ、北海道のヒグマ狩りは面白半分の遊びと油断したらとんでもないことになる。マライやインドのトラ狩りと共通する冒険なのだ。もっとも、それゆえに、狩猟の味はまた一段と貴重なものになるのだが──。

 川沿いのフキは、前記のように2メートル近くの高さに茂り、根まわり30センチぐらいもあり、葉は笠よりも大きいくらいのさえあった。フキには青フキと赤フキの二種があり、春若いころや土用前には柔らかい青フキが食用に好まれる。やや堅い赤フキは塩蔵にして、冬に食膳に供せられるものだ。根室原野では、どの川筋もフキの生えていないところはまずない。一町歩も二町歩もフキの原野があり、川に沿って何キロでもつづいて生えているフキの天国だ。このフキは人が食べるだけでなく、造材業者が冬期に木材搬出をするときの運送馬の飼料として重要であり、川のそばに長い穴を掘って、どっさりフキを刈りとって詰めこみ、塩蔵しておくものである。