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立花さんに振る舞ってもらった手料理

 思い返せば、学生時代に立花さんが初めて連れて行ってくれたのも、水道橋駅のガードレール下にかつてあった神戸らんぷ亭だった。当時はまだ『田中角栄研究』『宇宙からの帰還』『精神と物質』で有名なジャーナリズム界の大御所のイメージしかなく、いったいどんな高級店に連れて行ってくれるのだろうとドキドキしたものだが、牛丼チェーンで少し拍子抜けした。その後、何度も一緒に食事に行ったが、大半は松屋、なか卯、区役所の食堂、パン屋のイートインなどだった。「マクドナルドに連れて行けばいいよ」とは、私が初めて1人で立花さんに同伴して筑波の高エネルギー加速器研究機構に取材に行く前、立花さんの担当編集者に聞かされたアドバイスである。

 というと味を軽んじているようだが、立花さんは、安くてかつうまいものへのこだわりが人一倍強かった。それは1970年代、立花さんが一度ジャーナリストを辞め、新宿ゴールデン街で「ガルガンチュア」というバーを経営し、カウンターで何十種類もの料理を作って安く提供していた時代があるからだと考えられる。

 原価と商品価格の差に敏感に反応する癖が付いたのだろう。筆者が立花さんに振る舞ってもらった料理は炒め物が多かったが、驚いたのは手早さで、味付けもバランス良く、さすがと思わされた。

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©文藝春秋

野菜ジュース、シャーペン……

 小さな紙パック入りの野菜ジュースへのこだわりも強かった。コンビニで全種類試して、一番いいのはこれだと熱っぽく語っていたものだ。政治、科学、哲学など、もっと考えるべきことはあるだろうに、限られた脳のリソースを、野菜ジュースの選択に使うのはもったいないと思いつつ、一見どうでもいいことへのこだわりが立花さんらしいところだった。

 一人で立ち食いそば屋で食べている姿を撮影され、「さびしい食生活」のようなひどい書き方をされたこともある。しかし、立花さんはちゃんと味わって食べていたのだと思う。「あそこのかき揚げはうまいよね」とか、どこの立ち食いそばがうまいかといった会話をよくしたものだ。東大駒場キャンパスに講義に行く前には渋谷駅の立ち食いそば屋、名古屋へ出張に行った帰りには新幹線プラットフォームの立ち食いきしめん屋に必ず立ち寄った。