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「ミャンマーには戻りたくない」27歳の代表選手が“突然の難民申請” 帰国後のチームメイトを取材すると…

2021/06/25
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 6月15日、サッカーW杯アジア2次予選最終日。全勝での予選通過間違いなし、ゴールラッシュに沸くであろう日本戦……ではなく、敗退濃厚だった国同士の試合が行われる大阪長居スタジアムに筆者は向かっていた。

 地下鉄での移動中、ポケットのスマートフォンが「ポキッ」と鳴った。メッセンジャーのアプリを立ち上げると、英語のメッセージが届いていた。

「Will you come to the football game today? Please take a picture of me while I am warming up.(きょうの試合、来るの? ウオーミングアップのときの写真、撮ってよ)」

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 メッセージの相手はミャンマー代表として来日した控えのゴールキーパー、背番号18のピエリアンアウン(27)。5月28日に行われた日本対ミャンマーの試合前、国歌斉唱のときに3本指をたて、ミャンマー国軍に抗議の意思を示した選手だった。

ピエリアンアウン選手

グローブに書かれたメッセージ

 その試合は無観客ながら、注目の日本戦ということで民放が地上波で、NHKが衛星放送で生中継していた。その夜NHKは、「クーデター後初の国際試合 “抗議ポーズ”も」と題する企画を組み、翌朝の新聞各紙もピエリアンアウンの「3本指の覚悟」を取り上げた。

「彼はこの先どうするつもりだろうか――」

 FacebookでPyae Lyan Aungの名を見つけた私は、「次の試合は写真を撮りに行きます」とメッセージを送った。翌日、彼は手を合わせる絵文字を3つ返してくれた。こうしてささやかな交流が始まった。

 6月15日、列車を乗り継ぎ到着した大阪長居スタジアム。タジキスタン対ミャンマーの試合を取材するスチールカメラマンは見当たらない。ピッチに現れた彼にレンズを向けると、グローブをはめた右手を胸にあてるポーズで答えてくれた。

 

 ゴールポストの近くで振り向く彼のグローブに、黒色のペンで書かれた文字が見えた。人差し指に〈Pray〉、中指に〈For〉、薬指に〈Myanmar〉、そして、甲のところに〈Free Burma〉と〈Free our Leaders〉。

 ミャンマーでは今年2月、国軍によるクーデターが発生した。軍は抗議する市民に実弾を向け、犠牲者は6月23日現在877人にのぼる。サッカーを愛する若者も殺害され、いまだ囚われている人もいる。ピエリアンアウンはそのことを憂い、グローブにメッセージを書いたのだ。