『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル 著/鬼澤忍 訳)早川書房

 この手でつかみ取ったと思っていたものの多くは、実力ではなく運による。貴族的な階級支配に別れを告げ、能力至上主義による平等を達成したかに見えるアメリカで、新たな不平等が生じていると筆者は指摘する。多額の寄付、高額の教育、不正な手によってまで富裕層が子どもの学歴をお金で買う。結果、“アメリカン・ドリーム”の国の流動性は、中国や欧州より低い。

 筆者の慧眼は、学歴を媒介としたこの新たな階級社会のエリート層は、かつての貴族層よりも傲慢になりうると指摘する。能力主義の洗礼を受けたという自負は、人種や性別による差別を厳禁するアメリカでも、努力しない者として低学歴者への軽侮を正当化する。

 だが、我々が能力と思いこむものの多くが富裕な家庭、十分な教育機会を含む単なる運に過ぎないと指摘する筆者は、それを正面から認め社会を改変しようと説く。

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“受験戦争の申し子”とかつて自らを過信した私は、社会に出て自分より優秀な人を多く見た今、筆者の主張に同意する。体力に恵まれ、出題傾向と合致し……実力と思い込んだなにかは単なる幸運の結果だった。

 そしてまた、能力主義の洗礼を潜り抜けたという選良意識は諸刃の剣にもなろう。筆者はその片面である傲慢を語るが、学歴というチケットによりエリート組織に入った者が、そこで十分に評価されなければ、自身を正当化する根拠のすべてを剥奪される。落伍者への無能の烙印という能力主義の残酷を、自身を含めて私はいくつも目にした。

 ただ、筆者の主張の多くに同意しながらも、アメリカは能力を運に切り替えるべきでないと、私は思う。“ベスト&ブライテスト”へと個を競わせるあの切迫感。このアメリカの原動力は、能力主義の幻影に追い立てられることなくして生じえない。能力主義を廃すれば、軽視されてきた労働者層に活気が戻るとしても、アメリカという巨大な溶鉱炉は燃える火を失う。

 クリントンは「トランプ支持者の半数は嘆かわしい人」と切り捨て、そのエリート層の傲慢に反発する反知性主義がトランプ現象を引き起こした。思うに筆者は、社会の活力よりも分断した国の統合こそが、今のエリート層に課された義務と信じ、謙虚に首を垂れる姿勢を自ら進んで示そうとしたのではないか。

 思えば、ロースクールの大人気授業を受け持つ筆者は、成績ではなくて抽選という運で選んだ学生に、権威ではなく“チャーミングなグランパ”のように接したと受講した私の友人は語る。

 これはわが国でも決して他人事ではない。オリンピック反対の世論のことごとくを「世論は間違う」と鼻で笑うエリート層の傲慢は、近いうちにしっぺ返しを食らうだろう。そのときに、自らを真摯に見直す者がどれだけ現れるか。この国の未来を予測するためにも必読の書である。

Michael J. Sandel/1953年生まれ。ハーバード大学教授。専門は政治哲学。共同体主義の代表的論者として知られる。著書『これからの「正義」の話をしよう』が世界各国でベストセラーに。
 

やまぐちまゆ/1983年北海道生まれ。信州大学特任教授・法学博士。著書に『高学歴エリート女はダメですか』など。

実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデル ,本田 由紀 ,鬼澤 忍

早川書房

2021年4月14日 発売