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陛下のご懸念に菅首相は耳を貸さなかった?
「つまり、内奏の席で菅首相は天皇陛下のご懸念を聞かされても耳を貸さなかったということなのではないでしょうか。だからこそ、陛下のご懸念に西村長官はあえて言及したのでしょう。
1973年5月、増原恵吉防衛庁長官(現在の防衛相)が内奏の際に昭和天皇から『防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことはまねせず、良いところは取り入れてしっかりやってほしい』と言われたと記者会見で公表し、辞任に追い込まれています。このためあくまでも推測の域を出ませんが、菅首相に陛下がご懸念を伝えられたと考えるのが自然な流れと言えるでしょう」
何かあれば内閣総辞職では済まされない
1928年12月、当時の田中義一首相は張作霖爆殺事件に日本軍が関わっていた場合、厳重に処分する旨を昭和天皇に内奏したが、その後一転して方針を転換したとして昭和天皇の不信を買い、内閣総辞職に追い込まれたとされる。「統治権を総攬」していた明治憲法下の天皇と国民統合の象徴である平和憲法下の天皇は全く立場が異なるが、内奏で明かされたであろう今上天皇の御心を無視して観客を入れての五輪開催を強行し、万が一にも感染爆発や医療崩壊を引き起こしたとしたならば、菅内閣は総辞職では済まされないのではなかろうか。