6月28日午後、千葉県八街市で下校途中の小学生の列にトラックが突っ込み、児童5人がはねられた。2人が死亡し、1人が意識不明の重体、2人が重傷。過失運転傷害の疑いで逮捕されたのはトラック運転手・梅澤洋容疑者(60)。梅澤容疑者からは基準値を超えるアルコールが検出されたという。

 くしくも1週間前の21日には、東京・池袋の暴走事故の裁判で、遺族の松永拓也さん(34)が初めて被告人への直接質問を行ったことが大きく報じられたばかりだ。「今も無罪を主張しますか」と問われ、“暴走事故”を起こした旧通産省幹部の飯塚幸三被告(90)はこう答えた。

「心苦しいと思っておりますが、私の記憶では(ブレーキとアクセルの)踏み間違いはしておらず、過失はないものと思っております」

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 愛する家族を奪われただけでなく、事故を起こした被告の無罪主張を聞かされる遺族の心痛は察するに余り有る。

 平和な日常を突然奪う“暴走事故”は、なぜ繰り返されるのか。近年、「文春オンライン」特集班が“暴走事故”について報じた複数の記事を再公開する。(初出2020年11月3日、肩書き、年齢等は当時のまま)。

 10月29日に道路交通法違反(ひき逃げ)などの容疑で警視庁に逮捕され、30日夜に釈放された俳優の伊藤健太郎(23)。若手有望株の人気俳優の起こした「事件」の波紋が各界に広がっている。既報の通り、出演番組の降板や休止が決まり、木村拓哉主演で来春放送予定だったドラマ「教場2」(フジテレビ系)は、収録済みだった伊藤の出演シーンの撮り直しを行う予定だ。「CMなども含め、すべての違約金を合わせると億単位になる」(スポーツ紙記者)とも言われる。

釈放され謝罪する伊藤健太郎 ©文藝春秋

「なぜ伊藤は逃げてしまったのか」

 関係者たちが一様に口を揃え、落胆するのは、「なぜ伊藤は逃げてしまったのか」という点だ。伊藤は、28日の夕方、渋谷区・千駄ヶ谷の交差点で男女2人乗りの250ccオートバイとの衝突事故を起こし、2人に重軽傷を負わせたものの、一度現場から逃走した疑いがもたれている。事故直後に後続のタクシーがクラクションを鳴らしながら伊藤の車を追いかけ、現場に戻るよう諭し、数分後に戻ってきた。しかし、その事故現場でもスマホをいじりながら飄々としていたという。

「もし、あの時事故現場に止まり、適切な対応をとっていれば、逮捕までされることはなかったのではないか」、そう指摘する声は多い。一体なぜ、伊藤は罪が重くなるにも関わらず、現場から走り去ってしまったのか。『他人を攻撃せずにはいられない人』『他人の意見を聞かない人』などの著書があり、臨床経験にもとづき、精神分析的視点から犯罪心理や心の病を研究する精神科医の片田珠美氏に話を聞いた。

伊藤健太郎 ©AFLO

事件の根底にあるのは伊藤の「未熟さ」

 一連の報道から分析しますと、今回の伊藤さんの事件の根底にあるのは、彼の「未熟さ」そのものだと感じます。こういうと身も蓋もないように聞こえるかもしれませんが、専門的に言いますと、彼は「快感原則」から「現実原則」への移行がうまくできないまま大人になってしまったと言えます。

 まずは「快感原則」と「現実原則」の違いから説明しましょう。「快感原則」というのは、主に小さな子どもに見られる心理状態です。人間という生き物は本質的には、不快なものを避け、快適なものを求める傾向があります。これを「快感原則」と呼び、例えば幼児は徹頭徹尾この原則に従って行動しています。しかし、成長するにつれて、ただ「快感原則」に従って行動していくだけだと「痛い目に会う」ことを学んでいきます。