尾を引く歴史的背景も
県内であればまだしも、県同士となるとさらに厄介だ。福岡県と熊本県の争いは象徴的だ。もともと九州の中心は熊本にあった。そのため明治期以降に発展した福岡を熊本の人たちは良く思わないというのが背景だとか。鹿児島の人たちも、福岡は西南戦争のときに攻め入ってきた政府軍の出先だとして、良く思わないらしい。ただ今となってはみんな九州新幹線でつながり、博多鹿児島間は1時間40分だ。東京人の我々からみると小さな問題に捉えがちなのだが、仕事ではよく理解しておく必要がある。
さらに注意を要するのが長州藩、山口県だ。幕末の戊辰戦争で幕府側についた会津藩が悲惨な戦禍を被ったことは有名だが、1986年の維新120年にあたって、萩市が会津若松市を訪れ和解を図ったものの、会津若松市が応じなかったのは有名な話である。150年たった今でもわだかまりが残るという。
以前、愛媛県の関係者と西瀬戸地域の観光開発の意見交換をしたとき、私が西瀬戸地域での山口県との連携構想を語ったときのことも忘れられない。その話を聞いた担当者がひとこと呟いたのだ。
「長州はちょっとね」
えっ?となる私の顔を見ながら
「長州藩は幕末、宇和島に攻め込んできたけん、信用ならん」
歴史は尾を引くのである。
「練馬県」も会話の潤滑油になるのであれば
今でも思い出すのが私の通った都立高校での日々だ。当時は学校群制度のもと、同じ学校に通える生徒は杉並、中野、練馬の3区だった。そして、当時の高校生の間でも「杉並、中野およびネリマ」と記したり、練馬県などと揶揄したものだ。今なら大問題だが、当時は普通に使い、練馬県民(私もそうだったが)も自虐ネタにして笑っていたことを思い出す。
こうした地域プライドはともすると差別や格差といった真面目な話に落とし込まれがちであるが、会話の潤滑油になる程度であれば、良いのではないか。お互いに肩を組んで、信濃の国の歌を歌えるのならば。