全国で不動産関係の仕事をしていると、それぞれの地域の特性に触れることができる。県民性とか地域性と呼ばれるものである。風土は立地や気候、それまで起こってきた自然災害や、時には人災などによっても形成される。今回は、不動産関係の仕事を通じて感じた県民性、とりわけ限られた地域の中で、地域同士のプライドがぶつかり合うさまをご紹介しよう。

文教の「浦和」vs人気高まる街「大宮」

 埼玉県内で仕事をする際に気を付けなければならないのが「浦和人」の存在である。あえて「人(じん)」と呼ぶには訳がある。古くから浦和に住んでいる人ほど、実にプライドが高い傾向にあると感じる。まちがっても彼らの前で「ダさいたま」などといってはいけない。浦和は1923年の関東大震災後に、都心部から多くの文人がこの地に移住してきた。理由としては、地盤の良さに加え、東京へのアクセスの良さ、下水道整備率の高さ、そして教育環境の充実がある。

 特に別所沼近辺はその風光のすばらしさから多くの画家が集結し、神奈川県の「鎌倉文士」と並び、「浦和画家」と称されるようになったという。

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 私の経験では、浦和人には、隣接する大宮と「同じさいたま市」にあることをひどく嫌っている人が多かった。大宮はJRを中心に鉄道各線が集結する交通の要衝である。商業施設が充実し、飲み屋街もある。そして、大宮駅のルミネは日本一の売上を誇る。さいたま市はそれまでの県庁所在地であった浦和市と大宮市、与野市の3市が一緒になって誕生した政令指定都市だが、商売の街大宮と一緒にされる浦和人のプライドは満たされていないようだ。

 また、浦和は文教の街でもある。その代表格が県立浦和高校だ。現在でも東京大学に46名の合格者を出す東大合格の常連校だ。かたや大宮には以前はこれといった進学校はなかった。だが大宮周辺には超高層マンションも林立し、多くの新住民が集結。地元の大宮高校の進学成績が急伸。東京大学合格者数も令和に入って10名、13名、15名と順調に伸びている。浦和人からみれば、歯牙にもかけない状況かもしれないが、いやいやどうして大宮の人気は高まるばかりだ。SUUMOが毎年発表する「住みたい街ランキング」でも大宮は4位、対する浦和は8位。歯がみをする浦和人の姿が透けて見える。