イラスト 中村紋子

 覚醒剤取締法違反で逮捕された清水良太郎容疑者。父である清水アキラさんの会見を見て、強烈に引っかかるものがありました。それは「何かあればひっぱたいたりもしたけど、それが逆にうそつきにしてしまったのかもしれない」という言葉。清水さんは、「私の育て方がね、ダメだったんだと思います」とも仰った。残念ながら否定しきれない。

 持論を繰り返すけど、子供を殴って叱れば、確かに言うことをきくかもしれない。でも、それは恐怖心から表面的に従うふりをしているだけ。そんなことを何度もしていたら、その場しのぎで嘘をついたりごまかしたりするようになってしまうのは当然よ。

 今回の件で思うのは、芸能界に限らず、息子が同じ分野で偉大な父を乗り越えて大成することの難しさ。特に男子の場合、思春期の頃に「精神的な父親殺し」を果たすことが自立する上で非常に重要。この過程を経ることで、人生のモデルとなる存在であり、これまで自分が従ってきた規律の象徴でもある“親”を乗りこえて独り立ちすることができるの。ところが、息子が父と同じ職業を目指すと、常に偉大な父の存在が重圧としてのしかかり、やがて手枷足枷となって身動きがとれなくなる。

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 清水さんは「人の家以上に厳しく」育ててきたと仰った。でも、容疑者に関する報道をみるとかなり甘やかされてきたのではという印象が拭えない。同じ職業だけに苦労もよくわかるだろうし、自分と同じ道で才能をみせる息子が可愛いという親心は理解できるけれど、そうした愛情が時に息子の「父離れ」を阻んでしまう可能性もあるのよね。

 これはなにも芸能界だけの話ではなくて、どの家庭にもいえること。アニマル浜口さんと京子ちゃんみたいに、異性の親子ならうまくいくケースが多いんだけど。「性の違い」が自然な「親離れ」を促すのにうまく働いているのかもネ。