「余計な感情を入れてはダメ」
およそ20年前の「週刊新潮」や「週刊朝日」、地下鉄サリン事件を起こす前のオウム真理教が載った新聞など、ゴミ山下方の内容物は1995年近辺が多い。つまり25年前から少しずつゴミが積まれていったのだろう。
「よっぽど地元愛が強いんだなー」
アルバイトの作業員が横浜FCの応援グッズを見て口にする。そうなのだ。タオルや旗、人形、パンフレットなど多岐にわたる応援グッズが大量に出てくる。一度も開封されていない、梱包されたままの新品応援グッズもある。可愛らしい「くまのプーさん」のぬいぐるみを廃棄用の段ボールに投げこむ時、胸が痛んだ。新品の人形の上に、汚れたゴミをどんどん積んでいくのはどうしても抵抗がある。
せめて段ボールの一番上に積もうと箱の外に出しておくと、石見さんがめざとく「これは何?」とぬいぐるみの存在に気づいた。理由を話すと、「余計な感情を入れてはダメ」と諭され、段ボールにぬいぐるみを投げこまれてしまった。物に感情を入れると、作業後に自分が苦しく、重くなってしまうという。
ゴミシェルター
今回のゴミは、その種類が多岐にわたっていて“家族の存在”を思い起こさせる。
この家族は、複雑な家庭環境だったそうだ。家主であるA男さんは結婚して、二人の息子をもうけた。一人は養子になって他家へ行き、もう一人の子供と妻との三人で生活を送るものの、妻が病死。その後、A男さんはおよそ30年前にB子さんと再婚をした。しかしまもなくA男さんが亡くなる。A男さんの息子と、血のつながらないB子さんが残されたわけだ。ちょうどこの頃からゴミがたまり始めたようだ、と石見さんは分析する。
「ゴミの内容から1階がB子さん、2階が息子エリアと、生活圏が完全に二つに分かれている。仲が悪かったことがうかがえます。家庭内不和により“家”という共同体意識がなくなったのでしょう。私はゴミシェルターと呼びますが、他(家族)を寄せ付けず、それぞれがゴミ山で自分を守っているように見えます」
自分を守るゴミシェルター。本人にとってそのシェルターは一つの作品であり、自分が作り上げた作品を守っていきたい、さらに強固な物に仕上げたいという心理が働いているように思える、と石見さんが補足する。
居住者にとってゴミが自分を守ってくれる唯一のアイテムということかもしれない。